鳥島
とりしま
緑が少ない理由
久米島にはいくつもの古い集落がありますが、鳥島はそれらとは様相を異にしています。直線状に延びる道、屋敷林の少ない家々などが、この集落の成立の経緯を解き明かしてくれます。 |
【1】鳥島には琉球瓦の家もありますが、セメント瓦の家を多く目にします。 |
鳥島は1904(明治37)年、噴火によって全島移住を決めた沖縄県の硫黄鳥島(元鳥島)の元住民がつくった集落。全島民のうち、噴火後も硫黄採掘に従事したおよそ100名を除く528名が、当地へ移住しました。 |
見通しのいい鳥島の道路 |
鳥島の町並み |
屋敷林があまり発達していないことも特徴のひとつ。これにはいくつかの理由があります。まず、鳥島の住民が漁師であり、農耕に利用する植物を植える必要がなかったこと(たとえば農民は、葉が肥料になるハイビスカスなどを植えました)。 |
とはいえ、鳥島にフクギの屋敷林が「まったくない」のかというと、そうではありません。しかし見事な屋敷林をこしらえた家は、鳥島では少数派。ほとんどの家は庭が狭く、道路に面して家を建てています。いまから100年前、500名を超える住民が一斉に移住した混乱の歴史が、そこに示されています。 |
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2014年7月4日撮影 |