渡名喜
となき

より低い場所へ

渡名喜島の民家は1メートルほど掘り下げた土地に建てられているのが特徴。台風の雨風をしのぐため、家の立地をより低い場所に求めた結果です。

【1】道路面はここにあります。
【2】道路と敷地の高低差は80〜120センチほど。風の抵抗を少しでも減らそうと、地面を掘り下げて家を建てました。
【3】土地を掘り出した土砂は隣家との境界の盛り土とし、表面にテーブルサンゴを積み上げ固定しました。こうした土盛りを内石垣と呼びます。
【4】渡名喜集落は砂が堆積した場所にあります。水はけがよく、敷地を掘り下げても浸水の心配はありませんでした。

久米島、粟国(あぐに)島、慶良間(けらま)諸島を結んだ三角形のほぼ中央に浮かぶ渡名喜島。その地理的位置から、琉球国時代には首里と明・清を結ぶ通信ルートの一部を担いました。島の集落は台風対策のため、路地より一段低い場所に家を建てています。これは琉球国時代のアナバヤヤー(穴屋)のころからの伝統です。


最も深いU家住宅。敷地と路面との差は1.55メートル

アナバヤヤーについては、成化13(1477)年の朝鮮人漂流者の記録にこう書かれています。
「居室は一般に一室でできていて、前面は軒がやや高く、後面は地面に垂れていて、屋根は茅で葺き瓦はない」
現在、土地を掘り下げた屋敷は渡名喜全体の67.4パーセントにのぼりますが、港近くでは高潮に警戒し、路面と同じかそれ以上になっています。

屋敷を掘り下げられる者はハタラチヤー(働き者)と呼ばれました。掘り出した土砂は隣家との境に盛り、表面をサンゴ石で固定しました。こうした石垣を「内石垣」と呼びます。土地の高低差は「村並センター」として一般公開されているアガリシマムトゥヤーで実感できます。


隣家との境界に「内石垣」が見える

村並センター。こうして見ると土地の高低差がよく分かる

ちなみにアガリシマムトゥヤーは渡名喜で最初に建てられた瓦屋根の家。建設は1892(明治25)年です。こののち島内に瓦が普及し、以後10年ほどの間に、それまで茅葺きだった家々は瓦葺きに置き換えられていきました。


村並センターの一番座(座敷)


敷地の最も奥に便所を兼ねた豚小屋(フール)がある
この集落で興味深いものに力石(ちきし)があります。本土で力石(ちからいし)といえば、若者が力比べをするための石のことですが、渡名喜では使途が異なりました。ここでは力石を地面に叩きつけることで悪霊を地中に封じ込めるという、まじないに使われたのです。
沖縄で魔除けといえば石敢當(いしがんとう)があります。石敢當は直進する悪霊を防ぐため辻に置かれることが多いのですが、力石も同様に辻や三叉路に置かれることが多かったようです。

力石(右)のある辻

角地には石敢當が置かれる

寄棟屋根の家が並ぶ集落景観

里遺跡から俯瞰した集落

渡名喜はまた、フクギの屋敷林が濃い土地でもあります。2008年の調査では、集落の全320区画で20,172本のフクギが確認されました。フクギは土地の北側と東側で濃く植えられています。渡名喜では冬の季節風が北の丘陵地帯から吹き降ろし、台風時には東西方向からも潮風が吹きつけるため、こうした気候に適した植栽となっています。
集落の北にある里遺跡からは、フクギの森に赤屋根が浮かぶ景観を見ることができました。


フクギに覆われた赤瓦の古民家

見事なフクギのトンネル


【住所】沖縄県島尻郡渡名喜村
【公開施設】村並センター
【参考資料】
『渡名喜村渡名喜伝統的建造物群保存対策調査報告書』沖縄県渡名喜村教育委員会、1999年
「沖縄島およびその近海離島における福木屋敷林の地域特性」安藤徹哉・小野啓子・凌敏著、『日本建築学会計画系論文集』第75巻657号(2010年11月)所収

2014年7月4日撮


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