白保
しらほ

見通しがいいのは

白保はいまから300年前、琉球国の強制移住政策で開拓された集落です。それから60年後、明和の大津波で壊滅的な打撃を受け、碁盤目状のプランをもつ集落として再建されました。

【1】道路は一直線に延びています。乾隆36年の大津波(明和の大津波、1771年)のあとにつくられた沖縄の集落に共通する特徴です。
【2】家の壁のところどころに粟石が使われています。石灰岩やサンゴのかけらが固まった石で、軟らかく、加工に適しています。
【3】白保では庭木にバナナを植えているお宅をたくさん見かけました。「台風などの災害時にそなえた食用の庭木かなぁ」と思いましたが、果たして。

石垣島はいまでこそ八重山諸島の中心的な島ですが、かつてはマラリアが蔓延し、定住困難な原野が広がっていました。しかし琉球王府は薩摩藩への年貢米を増産するため、原野の開拓を庶民に命じ、17世紀末以降寄百姓(よせひゃくしょう)と呼ばれる強制移住がくり返されました。白保もそうしてできた新村のひとつで、康熙52(1713)年、波照間島からの寄百姓で成立しました。

白保集落は乾隆36年に起きた乾隆大津波(八重山地震津波、明和の大津波)によって壊滅的な打撃をこうむり、その後再建されました。琉球の集落は造営時期によって、街区のパターンが異なります。白保のように道路が格子状に引かれているのは、大津波後に普及したパターン。竹富島などの古集落では不規則に道が曲がり、分岐していますが、白保では対照的に、遠くまで見通せる一直線の道路が伸びています。

各街区は縦20〜30メートル、横70〜80メートルほどの長方形。それを等分して2軒の屋敷地とするのが一般的です。敷地はサンゴ石の石垣で囲み、屋敷林としてバナナやパパイヤなど食用果実のなる植物を植える家が多く見られました。
また、建材として壁の一部を粟石とした家や、ブロックを積み上げた倉庫も散見されました。台風の雨や風をしのぐための工夫なのかもしれません。


ここまでバナナの植栽の多い集落は、沖縄のほかの場所では見られなかった

壁を粟石としている。形状から倉庫か?


粟石の壁をもつ家。分棟型も琉球の伝統的な形式


サンゴ石を積み上げてつくった石垣


【住所】沖縄県石垣市白保
【公開施設】なし

2014年6月28日撮


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