奥間
おくま

セメント瓦の伝統

沖縄島の北部では赤瓦よりもグレーの瓦が目立っています。竹富島など、観光ガイドでおなじみの集落とは「色違い」の光景です。実はこれ、赤土を産出せず、早くからセメント瓦の製造が進められた結果なのです。

【1】2枚の瓦を組み合わせた伝統的な琉球瓦(赤瓦)も使われていますが……。
【2】国頭(くにがみ)郡といえば、本土の桟瓦(さんがわら)と同じかたちをしたセメント瓦が一般的。戦前から名護市で生産が始まり、いまでは広範囲に普及しています。
【3】琉球瓦には鬼瓦はなく、大棟や降り棟の先端は漆喰を固めるのみで、装飾的ではありません。しかしセメント瓦の家には、生産元の工場の刻印が入った鬼瓦が採用されています。かくして沖縄の家は、鬼瓦をもつようになりました。

巨大リゾート「JALプライベートリゾートオクマ」のある奥間にも伝統的な集落が残されています。東に山並みが迫り、かなりの傾斜地に展開する集落内には、曲がりくねった路地が走り、高台からは木造寄棟の琉球様式の民家群を一望できます。


セメント瓦の家並み。手前の屋根もセメント瓦を赤く塗装したもの

この家並み、沖縄のガイドブックの口絵を飾る竹富島や波照間島にそっくりですが、何となく違和感を覚えませんか? そう、奥間には赤瓦の家に混じってグレーのセメント瓦の家が散見されるのです。これは奥間に限らず、奥(国頭村)や津波(つは、大宜味村)など沖縄島北部に共通する特徴といえますが、なぜこの地方ではセメント瓦が多いのでしょうか。

その理由は、瓦の原料になる良好な赤土が採れないから。北部ではかつて、主産地である南部から土を搬入し、瓦を焼いていたようです。しかし運搬費用がかさんだことから、代替案として1935(昭和10)年に名護市で初めてセメント瓦が生産されます。すると、赤瓦に比べ軽く、施工費も安価だったことからまたたく間に普及。戦後の復興期や台風後の住宅修復などを経て、徐々に赤瓦屋根や茅屋根からセメント瓦へ置き換わっていきました。出現から80年が過ぎたいま、セメント瓦も「伝統」になったといえるでしょう。


鬼瓦には生産工場の印が刻されている


集落の真ん中にガジュマルの広場があった。かつての集会場だろう

沖縄北部にはセメント瓦の集落がいくつもありますが、奥間は屋敷林や広場のガジュマルなど、伝統的な景観をよく残しており、一見の価値ある集落だと思います。


赤瓦の家も少ないながら残されている

拝所(うがんじゅ)のある沖縄らしい路地裏


【住所】沖縄県国頭郡国頭村奥間
【公開施設】なし
【参考資料】
『沖縄の集落景観』坂本磐雄著、九州大学出版会、1992年
『島瓦の考古学 琉球と瓦の物語』石井龍太著、新典社選書、2010年
「週刊沖縄タイムス住宅新聞」1409号(2012年12月14日発行) p14-15

2014年7月6日撮影


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