仲地
なかち
和琉混交の風景
おそらく日本最南端の棚田が、久米島中西部の仲地に残されています。区画数58の小さな棚田ですが、東シナ海を望む小高い丘に、とてものどかな風景を残していました。 |
【1】フクギの屋敷林に囲まれて赤瓦の家が残っています。 |
久米島の「久米」は「米」という意味。沖縄語では両方とも「クミ」と発音します。その名の通り久米島は、かつては沖縄屈指の米どころでした。いまでは多くの耕地がサトウキビに転作されていますが、仲地には奇跡的に水田景観――それも棚田――が残されています。 |
仲地の棚田 |
稲穂と赤瓦 |
仲地では12〜15世紀に農耕が始まり、17世紀に用水路が開削されました。現在、棚田は58枚、総面積138アール。稲の二期作のほか、タイモも栽培されています。決して大規模な棚田ではありませんが、黄金の海の向こうに赤瓦の家が点在し、和・琉が入り混じった風景は一見の価値があります。 |
タイモの栽培区画 |
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<おもろさうし巻12の21> |
屋根は宝形(ほうぎょう)造り。短い大棟を載せている |
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<訳> 見事なよき(雪、米の美称)、見事なきみ(キビ)、米とキビの実りの見事さよ。 積み上がり、そえつぎ(添え頂)の下に米、キビを集めよ。 ※積み上がり、そえつぎは、首里城の継世門の別称 |
集落には赤瓦の古民家が多く残されています。その中の一軒、濱川家は家宝の「馬の角」で知られる旧家。現在、公開は中止している様子でしたが、敷地外からお宅をうかがうと、切妻屋根の玄関をもつ立派な建物が見えました。「馬の角」は琉球王から下賜されたものだそうで、そんな家格を感じるたたずまいでした。 |
濱川家住宅 |
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2014年7月3日撮影 |