川平
かびら

海に届いた村

石垣島北部の川平は、澄んだ海と砂浜でおなじみの観光スポット。ここはかつて、那覇に向かう船が立ち寄った「風待ちの港」でした。

【1】川平湾は、いまはグラスボートが回遊する石垣きっての観光名所。かつては那覇に向かう船が風を待つ港でした。
【2】波穏やかな川平湾に向き合って、琉球瓦の家が建ちます。
【3】集落の中心部は海岸から500メートルほど内陸にあります。村は少しずつ拡張し、ついには波打ち際に届きました。

川平湾は石垣島の観光客が必ずといっていいほど立ち寄る名所です。しかし、川平ブルーをたたえる海が琉球国時代には風待ちの港だったことや、いまも湾に面して伝統的な集落景観が残されていることは、ほとんど周知されていません。とても残念なことだと思います。


定番の撮影ポイント

川平湾岸の緩やかな傾斜地に集落が広がる

川平集落はもともと湾から1キロほど奥まった川平貝塚付近に発祥し、琉球国時代になると水田の開墾により、湾に向け広がっていきました。その背景には、腰当森(くさてぃむい)と呼ばれる丘陵地帯を背に、森に腰掛けるように村を展開させるという「腰当思想」があると考えられています。明治20〜30年代の絵図には、海岸線から100メートルほどのところまで家並みが迫っている様子が描かれています。

しかし川平集落が川平湾岸に向け広がったのは、実利的な面もあったようです。琉球国時代、ここは那覇へ年貢米を運ぶ御用船の停泊港となり、村人も輸送に従事していました。その出役がしやすいよう、川平湾に近い場所に家を建てていったのでしょう。


川平湾岸の赤瓦の家


コンクリート塀の路地

川平は石垣島において古集落の景観をよく残す場所とされています。実際、フクギの屋敷林や赤瓦屋根など、伝統的な町並みが広がっていますが、1軒1軒の住宅をよく見ると、屋根が赤瓦であることを除けばだいぶ改装の手が入っているのが実情で、石垣やヒンプンもブロック塀に置き換えられています。

しかし内陸に行くに連れ、昔ながらのサンゴ石の石垣が目立つようになります。集落景観は、湾から500メートルほど入ったところにある宮鳥御嶽(みやとりおん)を境に、海側と山側で異なり、これより山側に、より古い景観が残されているようです。
ちなみに宮鳥御嶽は
集落に4つある御嶽のひとつで、いまも豊年祭などの伝統行事が営まれています。


集落の中心にある宮鳥御嶽

宮鳥御嶽の西の町並み

宮鳥御嶽近くの家


宮鳥御嶽前のロータリー。左の木立が御嶽

ところで宮鳥御嶽の前には、日本の集落景観ではきわめて珍しい円形ロータリーが見られます。しかも四辻の真ん中に島のように取り残されていて、見るからに不思議な空間です。わたしの勝手な推測ですが、もともとここは御嶽前の広場で、道路がアスファルトで舗装された折、ロータリー状に残ったのだろうと思います。


【住所】沖縄県石垣市川平
【公開施設】なし
【参考資料】
『沖縄八重山の研究』法政大学沖縄文化研究所沖縄八重山調査委員会著、相模書房、2000年

2014年6月29日撮


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