石垣四箇
いしがきしか

赤瓦の都市

琉球国時代、王都・首里に次ぐ都市だったのが、石垣島の南海岸に連なる4つの集落――登野城(とのしろ)、大川、石垣、新川(あらかわ)――でした。石垣四箇とはこれらの総称で、赤瓦の町並みが残ります。

【1】八重山の中心都市として近代化が進んだ影響で、それほど密集してはいませんが、赤瓦が連続する光景を見ることができます。
【2】大棟に近い部分にしっくいを盛り上げた装飾は、石垣四箇の古民家に特徴的。重要文化財の宮良殿内(みやらどぅんち)もこのかたちです。
【3】ところどころにフクギが植えられています。

八重山諸島の中心をなす石垣島には21の歴史的な集落があります。このうち南海岸に連なる4集落(東から登野城、大川、石垣、新川)が「石垣四箇」と総称されています。


石垣四箇の中央部には三叉路や丁字路が多い(石垣)

いまでは途切れることなく家並みが続き、ひとつの“まち”にしか見えません。しかし地図を見ると、大川と石垣では街区が不整形、登野城はやや格子状、新川は完全な格子状をしていることから、各集落の成立には時間的な開きがあると考えられています。


周縁部の路地は直線的(新川)


沖縄らしい町並み(大川)

赤瓦の古民家が連なる(登野城)

石垣四箇は新栄町、美崎町とともに現在も島の中心街を形成しています。離島ターミナルや博物館のほか、ホテルや土産物屋などが集まるのがこの一帯で、観光シーズンともなれば1日中多くの人で賑わいます。
そんな“現代都市・石垣”から一歩路地裏に入れば、沖縄らしい赤瓦の家並みに出合います。しかも石垣四箇は東西2キロにもおよび、もしかしたら沖縄に現存する最も大規模な赤瓦集落といえるかもしれません。


シーサーと猫(石垣)

フクギに守られた家(登野城)
国の文化財になっている古民家も見られます。その筆頭が、重要文化財の宮良殿内。建造は嘉慶21(1816)年です。頭職(行政官)の宮良当演(みやら・とうえん)が、那覇の貴族住宅を真似て建てました。
宮良殿内(大川)

渡久山家住宅(大川)。手前がフリヤー。隅に円いエサ桶が見える
国の登録有形文化財の渡久山(とくやま)家住宅は、主屋は1925(大正14)年に建てられた比較的新しいものですが、裏手に1894(明治27)年のフリヤーが残っています。フリヤーとは沖縄島でいうフールのことで、豚小屋兼便所です。屋根は失われていますが、区画ごとに豚のエサ桶まで残されているのには感動しました。

渡久山家住宅横の石垣の道(大川)
入嵩西(いりたけにし)家住宅も、同じく国の登録有形文化財。1911(明治44)年ごろに建てられた赤瓦の主屋や、この地域でマイグスクと呼ばれるヒンプン、高さ2メートルの石垣など、屋敷構えがよく残されています。
入嵩西家住宅(新川)


【住所】沖縄県石垣市登野城、大川、石垣、新川
【公開施設】宮良殿内
【参考資料】
「琉球における集落景観と伝統的地理観」高橋誠一著、『南島史学』第68号(2006年10月)所収

2014年6月28日、30日撮


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