比嘉
ひ が

離島の石垣集落

浜比嘉島は古くから農業と漁業に頼らざるを得なかった貧しい島といわれていますが、島の東にある比嘉集落の民家はなかなか立派。本島では少なくなったサンゴ石垣や切石積みの石垣が巡り、赤瓦の大屋根をもつ家が残されています。

【1】比嘉の家は総じて大づくりです。
【2】家とともに立派だったのが石垣。海から強風が吹きつけるのでしょう、高さは1メートル以上あり、この通り家は屋根を残して隠されていました。
【3】水不足に悩まされることの多い沖縄では、各家に貯水タンクが設けられています。赤瓦の家並みに生活感が感じられるのも、ここが保存集落ではなく、いまも人々が住み続けているからなのです。

浜比嘉島は浜比嘉大橋によって沖縄島と地続きになっているため、離島という感じは受けませんが、つい20年前までは小型フェリーでしか行くことができませんでした。そのせいか古い集落景観が見られ、見事な石垣も残されています。


比嘉集落の石垣

比嘉の港の傍らにあるアマミチューの墓

比嘉集落を訪れてまず目を引くのが、海岸近くに点在する巨岩。これらは島が隆起サンゴ礁でできていることの証です。沖縄の天地創造神話に登場する神アマミチューの墓も、こんな巨岩に祀られています。


巨岩の間から古民家の瓦屋根がのぞく。まるで岩が村のゲートのよう

比嘉集落の石垣と古民家
比嘉集落には耕地が少なく、生活は決して楽ではありませんでした。沖縄からハワイへの移民が増えた明治時代には、浜比嘉島から多くの若者が移住し、彼らの送金で生活は一時潤ったそうです。比嘉集落の見事な石垣はそのころ整備されたものでしょうか。とにかく一見しただけでは、貧しい島だったというのが信じられないほど、立派な家と石垣が連なっていました。


石垣は家の軒よりも高い。防風・防潮性を重視しているのだろう


切石を組んだ大きめの共同井戸があった


吉本家住宅(火災後の再建)
比嘉集落で一番の古民家が、明治建築の吉本家住宅です。しかし残念ながら2010年に全焼してしまい(幸いにも人的被害はありませんでした)、現存するのは石垣のみです。石垣は城郭を思わせるほど堅固なものでした。


【住所】沖縄県うるま市勝連比嘉
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(47)沖縄県』角川書店、1986年

2014年7月6日撮


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