阿佐
あ さ

船乗りどもが夢の跡

阿佐は座間味(ざまみ)島に3つある集落のひとつ。39世帯73人が暮らす小集落ですが、琉球国時代は国際貿易の中継港として大いに賑わいました。

【1】草木の茂る風景からは想像できませんが、かつては交易船が停泊する港町でした。
【2】屋敷を取り巻く石垣と入口奥のヒンプンが、まるで迷路のように巡っています。琉球から明・清へ向かった進貢船(しんこうせん)の船頭を務めた旧家・船頭殿(せんどうろん)の証です。
【3】沖縄らしい赤瓦の家も残っていました。

座間味島は慶良間(けらま)諸島を構成する島のひとつ。那覇からは高速船で70分ほどと、日帰り観光も可能な場所にあります。島の海は「ケラマブルー」と呼ばれる鮮やかな青をたたえ、ザトウクジラやウミガメ、数多くの熱帯魚が集まります。いまやホエールウオッチングとダイビングの名所として、沖縄屈指の観光地となっています。


海岸に出る阿佐の路地

安護の浦

そんな座間味島に残る古い集落が阿佐です。座間味港から北東へ1.5キロ、波穏やかな安護(あご)の浦に面する小さな村です。
阿佐はかつて進貢船が停泊する「風待ちの港」でした。進貢船とは琉球国から明・清へ使節や交易品を送った船のこと。かつて座間味島の各字には船頭殿と呼ばれる船頭役の旧家があり、阿佐にはその屋敷跡が残されています。

とはいえ建物はすでになく、石垣とヒンプンが見られるのみですが、緻密に組まれた石積みに往時の栄光をしのぶことができます。
琉球国時代、船乗りたちはここに停泊し、風を待ったのでしょう。嘉靖10(1531)〜天啓3(1623)年に成立した歌集『おもろさうし』にも、風を待つ気持ちを詠んだこんな歌が収録されています。


阿佐船頭殿の屋敷跡

<おもろさうし巻13-154>
一 これる これ はつにしや
  うらこしちへ せのきみ つかい
又 これる これ おきとば
又 はつにしやす まちよたれ
又 おきとばす まちよたれ

<訳>
これぞこれ、はつにしや(初北風)だ、おきとば(北風)だ。
北風の吹くのを待ちかねて、精の君神女(久米島伊敷索〈いしけなわ〉城の神女)をお迎えにやったのだ。
初北風こそ待っていたのだ。
北風こそ待っていたのだ。

現在、阿佐集落には民宿やダイビングショップが集まり、鉄筋コンクリート造りの建物が目立ちます。それでも地区の南西部にはフクギの屋敷林や御嶽(うたき)が残り、伝統的な民家も4軒残されていました。


【住所】沖縄県島尻郡座間味村阿佐
【公開施設】なし
【参考資料】
『おもろさうし(下)』外間守善校注、岩波文庫、2000年

2014年7月2日撮影


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