明石
あかいし
緑が画する沖縄の村
石垣島北東部に突き出た平久保半島には、戦後の再入植で形成された十数カ所の集落があります。明石もそのひとつ。一見すると沖縄の伝統集落のようですが、新しい村ならではの造作も見られます。 |
【1】沖縄の集落といえばサンゴ石を積み重ねた石垣。ですが、明石には石垣がほとんど見られません。開拓を急いだせいなのでしょうか。 |
琉球国時代の石垣島はマラリアが蔓延し、定住するのも困難な秘境でした。その秘境にあって、さらに来る者を拒み続けていたのが、北東部に突き出た平久保半島。18世紀から入植が行われていましたが、本格的に人口が増えたのは戦後のことです。 |
明石集落遠望 |
入植30周年で建立された開拓之碑 |
平久保半島への入植は「琉球政府計画移民」によって行われました。入植者は八重山諸島のほか、沖縄島、宮古諸島、台湾の出身者で構成されていました。このうちの台湾には、台湾人のほか台湾在住の沖縄出身者も含まれていたようです。 |
入植直後の明石には茅葺き民家が連なっていましたが、いまではセメント瓦に葺き替えられています。セメント瓦は戦前から沖縄島で生産されており、赤瓦がつくれない地域で普及していました。いつごろ屋根が葺き替えられたのか定かではありませんが、八重山諸島においてこれほどセメント瓦で統一された家並みは珍しいと思います。 |
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ところで、明石集落の外れの県道206号線沿いに、1軒だけ茅葺きの家が残されていました(左写真)。住居ではなく店舗として建てられ、いまは物置として使われているそうですが、八重山諸島では貴重な存在です。何とか未来に継承してもらいたいと思います。 |
2014年6月29日撮影 |