志布志麓
しぶしふもと
庭園集落は谷に延びて
志布志麓は4つの山城に囲まれた谷筋に展開します。山城や庭園の緑が南国の風を運ぶ、自然との調和が見事な町並みです。 |
【1】志布志麓は谷筋に展開し、目の前に迫る尾根に4つの山城が築かれました。ちなみにこの山には松尾城がありました。 |
志布志には戦国時代、内城、松尾城、高城、新城という4つの山城が築かれ、代々の支配者が居城としていました。これら4城を総称して志布志城といいます。江戸時代の一国一城令で志布志城が廃されたのちには、鹿児島藩によって麓集落が建設されました。 | 志布志麓集落。背後は高城跡 |
鳥濱氏庭園と住宅 |
麓(府本)集落とは、地方統治のために武士を集住させた行政拠点のことをいいます。志布志は大隅国、日向国の国境に位置することから、鹿児島藩でもとくに規模が大きく、重要な麓集落でした。 |
志布志麓の特徴は庭園にあり、天水氏、平山氏、福山氏、清水(きよみず)氏の各庭園が国の名勝に指定されています。麓集落で庭園とくれば、知覧麓を連想させる方もいらっしゃるでしょう。志布志麓も知覧麓も、枯山水庭園が主体であることは共通しています。しかし平地にある知覧麓とは異なり、志布志麓は谷筋に町並みが展開し、地形を生かした作庭技法に特徴があります。 | 地形を生かした天水氏庭園のアプローチ |
天水氏庭園。植栽は山並みをかたどる |
麓集落の最奥部にある天水氏庭園は、屋敷入口から続く急な階段を登った先、主屋の南側にあります。岩陰を行く感のあるアプローチの先で視界が開けるのは、まったく劇的な“仕掛け”だと思います。その視線の先に、岩盤の露頭に沿って築山を造成した枯山水庭園が広がります。 |
麓集落の入口近くにあるのが平山氏庭園。明治の廃仏毀釈まで寺院だった場所で、寺院庭園に起源をもちます。内城跡の山裾に位置し、岩盤を数段に削り取ってつくられ、部分的に岩窟や穴をうがつなど、荒々しい造形が特徴です。 |
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平山家住宅と庭園 |
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福山家住宅の武家門 |
福山氏庭園、清水氏庭園は一般公開されていません。このうち福山氏庭園では文政10(1827)年に建てられた武家住宅が現存し、住宅と庭園が一式保存された貴重な遺構とされています。 |
国の名勝以外にも志布志麓には見事な庭園をもつ武家住宅が点在し、武家門の並ぶ町並みも残されています。とくに福山氏庭園から清水氏庭園にかけての道筋(内城の東側)と、松尾城跡と高城跡の間の谷筋の道に良好な景観が残されていました。 | 内城の東側の町並み |
松尾城跡と高城跡の間の町並み |
内城の登城口にある武家門 |