蒲生麓
かもうふもと
薩摩の武家門コレクション
鹿児島県には古い武家町がたくさん残っています。蒲生もそのひとつで、最大の特徴は武家門。39棟が現存し、県内最多とされています。 |
【1】玉石垣もありますが、蒲生では切石積みの石垣が多数派。石垣の上にはマキなどを植えます。 |
蒲生はもともと島津氏と敵対した蒲生氏の領地でしたが、戦国時代に覇権争いに敗れると家臣団は離散し、代わって島津氏の所領となりました。島津氏が関が原の戦いで敗走したのちは、きたるべき東軍との合戦にそなえて蒲生城を整備。城下には武士を集住させました。 | 蒲生麓の町並み |
御仮屋門 |
結局、合戦は起こりませんでしたが、その後も武家町の整備は進められ、寛永年間(1624〜1644)までに武家が暮らす麓(府本)集落が形成されたと考えられています。集落の中心にあったのが地頭仮屋という役場で、そこには現在市役所の支所が置かれています。現存するのは門(御仮屋門)のみですが、この門はすべてクスノキでつくられているそうです。 |
蒲生では多くの武家屋敷が門を残しています。門は敷地に向け緩やかに登るアプローチの上、表通りから一歩引いたところに立っています。形式は家格によって異なり、10〜49石の家では屋根がひとつの門、50石以上になると本屋根の両脇に小屋根が設けられました。いっぽう、10石未満の家は門を建てることは許されなかったそうです。 | 49石以下の武家門 |
50石以上の武家門 |
門の内側に石垣を立てる |
有村家武家門 |
現存する最古の門は有村家のもの。建設は文化13(1816)年で、御仮屋門を手がけたのと同じ大工の手によるものです。ちなみに御仮屋門は、有村家武家門からちょうど10年後の作です。 |
この家は門と主屋が現存する |
少ないながら玉石垣も見られた |