出水麓
いずみふもと
生活守る知恵の結晶
出水麓は鹿児島藩が100カ所以上の外城(とじょう)に設けた麓集落の中で最大規模を誇り、その大部分が現存しています。全国的にも、これに匹敵する武家町は残されていないと思います。 |
【1】出水はもともと丘陵地帯で、土地を整地したのち道を掘り下げて集落が築かれました。道は大雨の際には排水溝を兼ね、屋敷を守りました。 |
日本には昔の風情を伝える城下町がたくさんありますが、武家町はそれほど多く残っていません。残されていたとしても、「○○小路」という名前で一部だけというケースが多く、主屋は建て直されていることがほとんどです。そんな中、出水麓はおよそ800メートル四方の規模で現存し、伝統的な武家屋敷も30棟ほどが残っています。 | 真っ直ぐ延びる諏訪馬場 |
平良(たいら)川沿いの低地に降りる鬼坂 |
出水は肥後との国境という地理的環境から、鹿児島藩で最大の麓集落として整備されました。町の整備に尽力したのが、寛永6(1629)年に当地に入った地頭の山田昌厳(しょうがん)で、以後20〜30年かけて現在見られる町並みが整えられました。 |
町は高台にあり、東西4本、南北4本の道路が引かれています。それぞれの道に囲まれた街区には、武家屋敷を数軒から十数軒ずつ建て、有事の際には門を閉じ、街区をミニ要塞とする仕組みでした。 | 諏訪馬場。南北方向の道 |
伝統的な主屋も残る。竪馬場。南北方向の道 |
菱刈街道。東西方向の道 |
仮屋門。背後は出水小学校 |
町の南、現在小学校のある場所には、かつて御仮屋がありました。御仮屋とは藩主が領地巡回の折に滞在した施設のこと。現在、入口の門が残っています。その前の道は仮屋馬場といい、馬術などの鍛錬の場として使われました。 |
御仮屋に最も近い竹添邸は上級武士の屋敷で、その立地から特に重要な家柄だったとされています。間取りは、生活空間と接客空間が明確に区切られた武家ならではのもので、座敷の前には緑豊かな庭が広がっています。 | 竹添邸。独特の食い違い間取り |
武宮邸。座敷の両側に縁がある(公開停止中) |
宮路邸。入母屋の玄関が立派 |
左手前の白い石が石敢當。堅馬場 |
武家住宅の中には門扉のない石柱門を設けたり、魔除けの石敢當(いしがんとう)を残すものもありました。また、敷地を囲む生垣の代わりに切石積みの石垣とした家もあります。出水麓は石造構造物の豊かな町でもあるのです。 |
石柱門を残すO家住宅 |
N家住宅はひときわ壮大な石垣と笠石をもつ |