山陰・坪谷
やまげ・つぼや

ひな壇の集落

耳川の支流の坪谷川沿いには、山裾に石垣を組んだひな壇状の集落が点在しています。それほど急傾斜ではないものの、大小の石を乱積みにして生まれた、端正な集落景観が見られました。

【1】坪谷川流域はそれほど急な地形ではありませんが、丘陵地帯にあるため石垣を組んで整地する必要がありました。
【2】当地では代々、稲作は行われず、主に豆類を栽培していました。このお宅では現在、柿を植えています。
【3】山陰戊(やまげぼ)の野々崎集落は、主屋に匹敵する馬屋を建てるところ。この建物も馬屋でしょう。右側の主屋に並べて、いかにも堂々としています。

耳川の支流、坪谷川は、旧東郷町をゆったりと西から東へ流れていきます。この川の両岸に、石垣を組んだ山裾集落が点在しています。今回は5つの集落を散策しましたが、最も見ごたえがあったのが、“石垣集落地区”の入口にあたる山陰戊の野々崎集落。山際におよそ9戸、それより数段低い県道沿いに5戸ほどの家があり、どの家も主屋と馬屋を一列に並べる屋敷構えを残していました。


県道沿いの民家(山陰戊、字野々崎)


同規模の主屋と付属屋(山陰戊、字野々崎)

野々崎の家は隣家とは距離があり、散村的な風景になります。同じ宮崎の石垣集落でも、十根川や戸川は家屋を密集させていますが、こうした建築配置の違いも地形の違いゆえのものでしょう。

野々崎で枯れ葉を炊いていた紳士に、この付近の石垣集落についてうかがい、名前のあがった地区を順に訪ねることにしました。


山側から見た民家(山陰戊、字野々崎)

 


若山牧水生家

まず、野々崎をあとに上流側へ向かうと、ほどなくして大字が坪谷に変わります。そのあたりにあるのが、歌人・若山牧水の生家。

牧水生家の先で坪谷川を南岸に渡ると、出作り小屋に起源をもつという上野原(うえのばる)の小集落があります。10戸ほどが肩を寄せ合うように集まっていて、何といまでも畜産を営む家がありました。


石垣を段々に組んでいる(坪谷、字上野原)


左の家は建て直されている(坪谷、字一谷原)

再び坪谷川の北岸に戻って、坪谷郵便局のあるこの地区の中心地、一谷原(いちやばる)、さらに坪谷最奥の瀬平(せへい)、多武の木(たぶのき)の各集落をめぐりました。
多武の木は、野々崎の紳士に「石垣がよく残っている」と聞いて行ったのですが、それほど密度は高くないように感じました。山陰・坪谷で見た他の集落よりも、比較的平坦な土地が広がっていることが影響しているのかもしれません。


主屋、馬屋、納屋を並べた典型的な農家(坪谷、字瀬平)


散村的な集落景観(坪谷、字多武の木)


【住所】宮崎県日向市東郷町山陰戊、東郷町坪谷(地図/山陰戊野々崎坪谷上野原
【公開施設】なし

2015年5月6日撮影


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