水流
つ る

水の流れる武家町

薩摩藩の外城(とじょう)のひとつ、吉田郷にあった郷士集落が水流です。水と緑あふれる美しい武家町のたたずまいに出合いました。

【1】武家町を象徴する武家門。水流には復元(もしくは修復)されたと思われる1基を含め、5基を確認できました。
【2】敷地を区切る垣には、生垣、玉垣、切石積みなどさまざまなものが見られました。
【3】道の片側に水路が流れています。薩摩藩の武家町ではほかに見かけませんでした。お隣、飫肥(おび)藩の飫肥城下町にはあるんですけどね……。水流の水路は生活用水だったのでしょうか。

江戸時代、薩摩藩は外城制と呼ばれる独特の地方統治制度を採っていました。藩内を100以上の外城(郷)に分け、それぞれに麓と呼ばれる中心集落を置いて武士を集住させ、外城を統治させたのです。
しかし各外城において、武士集落は麓1カ所だけだったわけではありません。各外城には数カ所ないし十数カ所の郷士集落が形成されていたようです。


水流の武家門


水流の町並み

水流もそんな郷士集落のひとつ。吉田郷において、中心集落である真幸(まさき)麓とは別の武家町だったところです。

水流集落は、川内(せんだい)川を挟んで京町温泉郷の北側に位置します。緩やかにカーブする道沿いに生垣や玉石垣が続き、ところどころに武家門が口を開けています。屋敷の植栽が豊かで住宅の様子はほとんどうかがえないのですが、枝の隙間から甍の屋根がのぞき、古い住宅も比較的よく残されている様子でした。


川内川の土手から下る道沿いに武家門が点在


玉石垣の町並み。枝の間から古そうな主屋がのぞく


鬼丸邸(背面)


鬼丸邸

メインストリートから東へ分岐する路地を行くと、「鬼丸邸」の標識のある古民家がありました。入母屋造り、ツシ2階の古そうな家でしたが、どのような由来があるのかは分かりませんでした。

この鬼丸邸のほか、水流全体に関する由緒記なども見当たりませんでした。すぐれた歴史的風致を残す郷士集落ですが、特段、文化財としては認識されておらず、いまも静かな住宅地であり続けていました。


【住所】宮崎県えびの市水流(地図
【公開施設】なし

2015年5月9日撮影


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