十根川
とねがわ

大きな馬屋と高石垣

山深い土地にある十根川は、宅地や畑地が石垣で整地された集落です。そこには、主屋と見まごう巨大な馬屋が建てられていました。

【1】十根川の景観を特徴づける石垣。上の家は、下の家の屋根よりも高い場所に建っています。
【2】宅地は水平にならしますが、畑地は必ずしもそうではなく、南(写真右)に向かってわずかに傾斜させたものも見られます。
【3】主屋に見えますが、これは馬屋です。十根川ではどの家も、最低4頭の馬を飼えるほどの大きな馬屋を建てました。すべての馬屋が2階建てで、2階では干草やわらを保管しました。

耳川の支流、十根川。そのまた支流である大久保谷川の右岸(北岸)に、十根川集落はあります。この険しい土地に、人々がいつごろ定住したのかは定かではありません。平家の落人を追った那須大八郎(与一の弟)が、最初に陣を構えた土地であるという言い伝えもあります。しかし、そもそも大八郎は架空の人物とされていますし、すべては伝説の域を出ません。


十根川の集落景観


石垣の上につくられた畑

十根川集落を訪れてまず驚かされるのが石垣の高さです。大きなものは高さ4メートル、長さ40メートルにもなり、険しい土地における村づくりの労苦がしのばれます。


宅地の背後に石垣が迫る
家は石垣で整地した土地に建てられました。十根川の家は主屋、馬屋、倉の3棟で構成するのが一般的です。主屋は極端に細長く、3〜4の部屋を一列に並べた間取りが特徴で、平地の少ない椎葉村ならではの様式とされています。


横に長い主屋


奥が主屋、手前が馬屋

集落全体で建築配置を見ると、中央部に全戸の主屋を密集させ、その周囲に馬屋を、さらに外側に倉を建てています。
馬屋は主屋同様、平方向に細長いものもあれば、正方形に近い平面のものもあります。しかしすべてに共通していえるのは、最低4頭を飼育できるほどの規模であること。急傾斜地での暮らしに、馬はなくてはならない存在だったのでしょう。


2棟とも馬屋だが、右は住居に改修されている様子


高石垣にそびえるこの建物も馬屋

倉を集落の周縁部に建てたのは、火災のリスクを避けたため。しかし、他地域でしばしば見られる群倉(ぐんそう)とすることはなく、それぞれが10〜50メートルほどの距離を保っているところに、十根川の特徴があります。


主屋から離れて建つ倉

十根川集落は1998年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されましたが、その14年前の1984(昭和59)年には、当地を民家村として保存する案が出されていました。しかし極端に観光開発されることなく今日に至り、2014年現在観光施設といえるのは、そば処1軒のみ。資料館などとして一般公開されている施設さえありません。

十根川はおそらく、離島を除けば「最もアクセスが難しい重伝建」だと思います。そんな秘境の地にあって、いまなおありのままの集落の姿を伝えているところに、十根川の真の価値があるように感じます。


【住所】宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良字十根川(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『椎葉村十根川地区山村集落』椎葉村教育委員会、1993年
『未来へ続く歴史のまちなみ』ぎょうせい、2001年

2007年1月4日撮影


戻る