高岡麓
たかおかふもと
切石積みの麓集落
薩摩藩の外城(とじょう)のひとつ、高岡郷の中心集落だった高岡麓(天ヶ城麓)は、初期の麓集落の町割を留める集落といわれています。主屋は少なくなりましたが、武家門はまだまだ健在です。 |
【1】道路が直線・直角に引かれています。これは薩摩藩の麓集落の中でも、とくに古い特徴といわれています。 |
薩摩藩は領内を100以上の外城(郷)に分割して地方自治を行っていました。各郷の中心集落が麓と呼ばれ、ここ高岡麓は高岡郷の政治拠点だった集落というわけです。高岡麓は薩摩藩の中でも初期の町割を残すといわれていますが、現在の景観は幕末のころのものです。 | |
高岡麓の石垣 |
江戸時代を通じて、高岡郷では石垣が認められておらず、竹垣がつくられていました。幕末になるとこの禁制が緩んだのか、次第に石垣がつくられるようになります。その際に使われたのが当地で採れる高岡石で、これを成形して積み重ねました。薩摩藩のほかの麓集落では、こうした切石積みの石垣は少なく、独特の印象を与えます。 |
武家門としては河上家や安藤家のものが規模が大きく、町指定有形文化財になっています。とくに河上家武家門は正徳元(1711)年の建造と際立って古く、たいへん貴重なものです。 |
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河上家武家門 |
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市来家長屋門 |
市来家長屋門は高岡麓で唯一の長屋門です。門と長屋部分の棟の高さが異なるのは、より古い形態を留めているためとされています。 |
このように門は比較的多く残されているのですが(それでも江戸期にさかのぼるものに限れば、武家門は5基、長屋門は1基のみ)、主屋は現存例が非常に少なく、移築復元された吉本家のほかは1軒しかありません。右写真のように、門の奥に新築住居が建つのが、現在の高岡麓の景観となっています。 |