大堂津
おおどうつ

漁村、いまは醸造町

大堂津は日南海岸にある漁村で、江戸時代には飫肥(おび)領四浦に数えられました。現在は旧道筋に醸造家が軒を並べ、在郷町としての景観をよく残しています。

【1】大堂津は南郷川河口の砂州にある漁村。しかし河岸から一本内陸の本町通りは、その名の通り「町」になっています。
【2】道沿いには古民家が点在しています。
【3】醸造業の町らしく、蔵も目立ちます。


平入りの町並み

日南海岸に連なる油津、大堂津、目井津、外浦は、飫肥四浦と総称された古い港町・漁村です。このうち国の登録有形文化財が多く残る油津を訪ねた際、入手した資料に「大堂津には明治時代から大正時代にかけての店舗や蔵が残されている」とあったので、立ち寄ってみました。

大堂津は南郷川の河口北岸に位置します。南郷川は支流の細田川とともに、山間部から木材を流す輸送路として使われました。川を下ってきた木材は大堂津の南郷川岸に集められ、油津や外浦を経由して、大坂や瀬戸内方面へ搬出されていきました。飫肥藩では港湾管理のために地頭職を置き、藩士を駐在させていたといいます。


かつて港があった「浜の町」付近


宮田本店の石蔵。1928(昭和3)年

しかし大堂津は江戸時代を通じて、住民の多くが漁業を営む漁村でした。明治期には製塩を始める者もいて活況を呈しましたが、漁村としての位置づけは変わりませんでした。そんな大堂津に明治末〜大正初期ごろ*に生まれたのが、全国初の公益質屋です。不漁などが原因で生活に困窮する漁業者を救済するための質屋で、低利で流質期限が長いことが特徴。大堂津で成功し、同様の質屋は全国に広まったそうです。

*日南市の資料には「1910年(大正元年)」とあり、これを引用したと思われる各種資料も右にならっている。しかし1910年は明治43年。

また、明治から昭和にかけて、当地では味噌、酢、醤油、焼酎などの醸造を営む者が現れました。昭和10年代には10社を数えたといい、2015年現在も4社が営業中(2014年まではもう1社ありました)。人口比に対する醸造家の多さは全国屈指といわれています(現在の大堂津地区の住民は1900人)。


宮田本店。建物は新しそうだが石塀が古い


吉澤醸造の醸造蔵

日南市産業活性化協議会では「なぜこれほど醸造家が多いのか」をテーマに調査書を作成しました。
当記事も、同書を参考に書かせていただきました。以下にリンクを張りますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。


吉澤醸造の建築物


【住所】宮崎県日南市大堂津3・4丁目(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
日南市産業活性化協議会

2015年5月7日撮影


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