口広
くちひろ

古民家の集積

かつて山持ちの人が多く住み、財をなした口広集落には、見事な質を誇る古民家が密集しています。

【1】主に松材を使った家が密集しています。商家のように2階をしっくいで塗りごめた外観が印象的です。かつては全戸、茅葺きでした。
【2】主屋に並べて、主屋と同じくらいの大きな馬屋を建てています。
【3】この家は正面中央に立派な玄関がありました。名主を務めた家なのでしょう。

串間市中心街から南東へ4キロ。大字本城(ほんじょう)を構成する集落のひとつに口広があります。事前情報で「本城に伝統的な農村が残る」とあり近くまで訪ねましたが、具体的な場所が分からず、地元の方に「口広には古い家がたくさんあるよ」と教えていただき、ようやくたどり着けました。


高台から見た集落全景


入口には標識もある

集落の入口には「口広古民家集落、0.2km」との標識が出ているものの、串間市のウェブサイトや文化財情報サイトでは紹介されておらず、個人ホームページでも口広集落に言及したものは見あたりません。まさに埋もれた集落です。

口広は現在18戸の集落で、ほとんどの家が中心部に集まっていますが、数戸はやや離れたところで散村的な景観を見せています。一部の家はツシ2階をしっくいで塗りごめ、商家のような外観とするのが特徴です。


村外れの家


口広の家。玄関部に向拝がある

ここは古くから「山持ちの村」として栄えたところ。集落から遠く離れた場所にも山を持ち、林業によって財をなしました。こうして、立派な松材を用いた家が次々に建てられました。
口広の家は間口6間ほどで、正面中央に玄関をもち、そこに向拝をそなえているのが一般的です。平屋は入母屋屋根、ツシ2階建ては寄棟屋根が多いようです。

また、大きめの馬屋を主屋に並べ建てるのも伝統的な様式です。現在では家畜は飼育されておらず、納屋に転用されたり、居住用に改築されていました。


敷地内に主屋(左)と馬屋を並べる


庄屋と思われる家

集落の中心には、庄屋を務めたと思われる家がありました。通常の出入口のほか、中央に屋根付きの玄関を設けていました。

 

口広については、集落入口に標識があるものの、市街地からここに至るまでの分かれ道には標識が立てられていません。また、研究者やナショナルトラストによる調査が行われたこともないと聞きました。


口広の家並み


解体が迫る空き家

現在では高齢化が急速に進み、若手(といっても50〜60代)は3人だけだと聞きました。空き家も増えつつあり、所有者の方が解体を検討する段階に入っています。口広に住むご婦人は「70、80の年寄りばかりになって、じき消える運命にある」とおっしゃっていました。
これだけの規模の古民家集落が、文化的価値を見出されず、黙って消えるのを待つのみというのは何とも惜しいことです。


木組みの納屋

集落全景。非伝統的な建築物がほとんど存在しない


【住所】宮崎県串間市本城字口広(地図
【公開施設】なし

2015年5月7日撮影


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