油津
あぶらつ

運河が変えた町並み

油津は日明貿易や琉球交易の拠点として栄えた港町。江戸時代には町を貫くように堀川運河が開かれました。

【1】貞享3(1686)年に完成した堀川運河。河岸は特産品の飫肥杉(おびすぎ)の集積場となり、護岸やスロープがつくられました。
【2】運河開削によって分断された町を結んだのが堀川橋です。かつては木橋でしたが、耐久性のある橋を望む住民の声を受け、1903(明治36)年に石橋に架け替えられました。
【3】船の航行を妨げないよう、石橋はアーチを大きく取る必要があり、橋の路面は木橋時代より高くなりました。川沿いの家並みと比べると、橋の路面が2階の高さにあることが分かります。

中世より明や琉球との交易港として栄えた油津は、江戸時代には飫肥杉などの積出港として大いに繁栄しました。水上交通の動脈となったのが、2年4カ月を費やして開かれた堀川運河です。内陸で切り出された飫肥杉はこの運河に集められ、港から各地へ積み出されていきました。


堀川運河


渡邊家住宅の酒蔵

下町通りには、いずれも廻船業を営んだ旧河野(かわの)家住宅、渡邊家住宅という2軒の幕末建築が向かい合って残されています。渡邊家はその後、酒造業を営むようになり、細い路地に面して板張りの酒蔵を並べています。


旧河野家住宅(左)と渡邊家住宅
近代に入ると飫肥杉に加え、マグロ漁の拠点としても賑わうようになります。大正から昭和初期にかけてが油津の絶頂期。木材やマグロで財をなした商工業者が競い合うように建てた店舗や住宅が、当時の繁栄ぶりをしのばせます。


油津赤レンガ館。1922(大正11)年ごろ


満尾(みつお)書店、1929(昭和4)年ごろ

鈴木旅館の建築群

このころの象徴的な遺構が鈴木旅館。明治期の本館を取り巻くように、昭和初期の西本館や離れなどが建ち並びます。鈴木旅館には11月から3月までは漁業関係者が、4月から10月までは林業関係者が宿泊し、「マグロ半年、木材半年」といわれるほど賑わいました。

国道沿いで目をひくのが杉村金物本店。明治期に創業した商家の店舗兼住宅として、1932(昭和7)年に建設されました。木造3階建てですが、2・3階の外壁に銅版を張った、かなり独特な姿をしています。


杉村金物本店脇の路地


杉村金物本店

堀川運河の近くには旅館風建築が散見される

ちなみに宮崎県に現存する歴史的な木造3階建て建築物は、杉村金物本店と、細島(日向市)の旧高鍋旅館の2棟のみ。交通の難所だった日向灘にあって、数少ない良港だった油津と細島に残されているというのも、宿命的な気がします。


手前が満尾書店、奥が杉村金物本店


【住所】宮崎県日南市油津(地図
【公開施設】油津赤レンガ館
【参考資料】
「あぶらつ散策」日南まちづくり株式会社、2012年
「日南市歴史文化基本構想 概要版」日南市教育委員会、2011年

2015年5月7日撮影


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