皿山
さらやま
窯業に特化した集落
皿山はわずか14戸からなる山間の小集落ですが、ここは小鹿田焼(おんたやき)のふるさととして広く知られています。土をこねる唐臼の音が山々にこだまし、沢筋には昔ながらの民家や登り窯が点在しています。 |
【1】各家にはツボと呼ぶ前庭があります。ツボは陶器の天日乾燥をするのに欠かせない空間です。 |
小鹿田焼の起源は16世紀末、朝鮮侵略の折に筑前藩主の黒田長政が陶工を連れ帰ったことに始まります。彼らははじめ直方(のおがた・福岡県)で窯業を営みましたが、宝永2(1705)年に日田の代官が彼らの子孫を小鹿田に招いたことで、「小鹿田焼」の歴史が始まりました。かつては農閑期に行われるものでしたが、戦後の減反政策の影響もあって、1975(昭和50)年にはすべての窯元が専業化しました。 |
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しし脅しの原理で杵がつかれる |
皿山は小鹿田焼の窯元の集落で、現在、14戸のうち10戸が窯業を営んでいます。製作はまず、集落周辺で原土を採取するところから始まります。集めた土は乾燥させたのち、唐臼で砕きます。この作業に20〜30日を要するのですが、皿山集落では唐臼の槌音があちらこちらから聞こえて、何ともいえない風情にあふれています。 |
その後、この土を使って成形していくのですが、陶土をつくるための「水抜き」や、成形した器の「乾燥」などの作業は、それぞれの家の前庭で行われます。前庭は「ツボ」といって広く取られているのが皿山集落の特徴で、このため主屋はツボを囲むようにL字型に配置されています。 |
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あちこちの窯から煙が立ち上る |
釉薬を塗ったのち、いよいよ登り窯で焼成します。窯元の中には専用の登り窯をもつ家もありますが、集落の中央には共同窯があり、わたしが訪れた日も焼成作業が行われていました。小鹿田焼は外から弟子を取らず、一子相伝でのみ継承される技術。近年はブランドとして知名度も高まっていることもあり、「とても忙しい」と聞きました。山あいにひっそりと受け継がれてきた技術は、これからも末永く受け継がれていくことでしょう。 |
皿山集落全景 |
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水辺に建つ唐臼小屋 |
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