日田豆田町
ひたまめだまち

なぜ江戸風なのか

豆田町は日田に2つあった城下町のひとつ。江戸時代には幕府の代官・郡代(ぐんだい)が置かれ、直轄領(天領)となったため、江戸風とされる町並みがつくられました。

【1】防火機能をもたせるため、町家は外壁を大壁としました。
【2】しっくいは黒やねずみ色が主体。これは江戸に多い色で、日田が天領だったことの証とされています。
【3】なまこ壁は瓦を水平に重ねた芋目地貼りが多く見られます。これも全国的には少数派で、豆田町に独特の景観を生んでいます。


豆田町の町並み

日田には織豊時代以降、日隈(ひのくま)城下の隈町、永山(丸山)城下の豆田町と、2つの城下町がありました。江戸時代になって一国一城令が敷かれると日隈城は廃され、寛永9(1632)年ないし寛永16年に幕府の直轄領(すなわち天領)となってからは、永山城に幕府の陣屋が置かれました。

日田は筑後川の水運の便に恵まれ、周囲の山地ではすぐれた木材を産したことから、物資の集散地として江戸期以降、大いに発展します。そんな歴史を反映するかのように、豆田町には江戸時代の掛屋や大店、明治時代の商家、昭和初期の3階建て建築など、各時代を代表する遺構がたくさん残されています。


荒壁造りの草野家長屋


日本丸館(にほんがんかん)。大正期の建物で、昭和初期に望楼を増築


船津歯科。1914(大正3)年築、28(昭和3)年改築の洋風建築


草野本家。2階の窓のデザインがいい

豆田町の顔となっているのが、町並みの入口に建つ草野家住宅(草野本家)。現在の主屋は明和9(1772)年の大火後の再建ですが、部分的にそれよりも古い部屋が残されています。非常に規模の大きな家で、国の重要文化財にも指定されていますが、残念ながら内部は撮影禁止でした(理由:所有者の草野氏の意向のため)。

草野本家の外壁にはなまこ壁がありますが、全国で広く見られる四半貼り(ダイヤ型に組む)ではなく、芋目地貼り(水平に組む)となっています。これは日田城下町に多い様式で、ほかの町並みにはない独特の景観を生んでいます。
なまこ壁の中には、しっくいを盛らない「引き込み目地」とするものも多く見られます。


引き込み目地のなまこ壁(廣瀬資料館)


枡形にそびえる草野本家のなまこ壁

黒しっくいの町並み

草野本家に代表されるように、外壁を黒やねずみ色のしっくいで塗りごめた家が多いのも特徴です。塗りごめているのは火災から家を守るためですが、この色は江戸を中心とする関東地方に多いもので、通称「江戸黒」と呼ばれます。現在でも川越(埼玉県)の蔵造りは、ほとんどが江戸黒で塗られていますよね。江戸から遠く離れた豆田町でもこの色が採用されているのは、ここが天領だったためだといわれています。

また、大分県は全国有数の鏝絵(こてえ)の宝庫ですが、豆田町にも鏝絵をもつ町家がありました。当地にもすぐれた左官が多くいたのでしょう。ここで紹介した3軒は、すべて御幸通りの北部に所在します。豆田町を歩くときはぜひ、探してみてください。


雨戸袋に鳩が止まる


桜木家住宅の妻壁には桜花

兎とコーナーストーン(隅石)に止まる鷹


【住所】大分県日田市豆田町(地図
【公開施設】草野本家(※季節限定で公開)、廣瀬資料館、クンチョウ酒造酒蔵資料館、日本丸館

2009年12月27日撮影


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