日出
ひ じ
櫓の前の武家町
白壁の家並みが続く日出城の城下町。城跡は現在、小学校となっていますが、隅櫓などが現存し、武家町の風情を演出しています。 |
【1】日出城の現存遺構、隅櫓の鬼門櫓。2013年、当地に移築復元されました。 |
いまや大分県下の小自治体となってしまった速見郡日出町も、江戸時代には日出藩の城下町であり、廃藩置県後は一時的に「日出県」も設置されました。町の起源は慶長6(1601)年。北政所ねねの甥・木下延俊が当地に移り、日出城を築城しました。 |
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観光協会(二の丸館)前の武家屋敷 |
城跡は現在、小学校用地となっていますが、石垣や一部の櫓が現存しています。2013年には荒廃していた鬼門櫓の移築復元が行われ、町並みが一段と城下町らしくなりました。この鬼門櫓の周辺が往時の武家町で、白壁の武家屋敷が連続する町並みが残されています。主屋が現存する例は少ないようですが、白壁がここまで連続するのは見事です。 |
町役場の北西の町並み |
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武家屋敷が連なる一角に、幕末の藩校・致道館(ちどうかん)があります。開校は安政5(1858)年。藩士の師弟が学問と武術を学んだ施設で、後代には算術やオランダ語も学科に加えられました。明治4(1871)年の廃藩置県によって閉校すると、その後は役場や図書館などに転用され、1951(昭和21)年、創建場所の日出城より現在地へ移築されました。 |
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下見板張りの洋館があった |
武家町の東には町人町もあり、しっくい塗りの商家が散見されました。 |
町人町の商家 |