戸次
へつぎ
昔日の繁栄しのぶ在町
大分市街から南へ向かう日向街道沿いに、戸次の古い町並みが突如現れます。16世紀以来の庄屋・帆足家の屋敷を中心に、しっくいを塗りごめた商家が連なります。 |
【1】明治時代に建設された帆足分家。この先にある帆足本家とともに、戸次の町並みのシンボルです。 |
大野川に沿った街道筋にある戸次は、古くから交通の要衝として栄え、江戸時代には地方の中心村落として整備されました。織豊期に当地に移り住み、江戸時代に庄屋を務めたのが帆足家で、現在の戸次の町並みも帆足家の関連建築物によって構成されています。 |
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帆足本家の質蔵(左)と洋館(右) |
「富春館」として公開されている帆足本家は、通りに面した質蔵と洋館が目をひきます。いずれも1916(大正5)年ごろの建造。洋館は一見、石造ですが、木造で外壁にモルタルを塗り、石造風に目地を入れて仕上げたものです。 |
これら質蔵と洋館の裏に、帆足本家の主屋が建ちます。慶応元(1865)年の建築で、桁行13間、梁間7間という非常に大規模な住居です。同家は造り酒屋を営んでいたため、主屋に向かい合うようにL字型に巨大な酒蔵が配されています。 |
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帆足分家 |
本家の南にある帆足分家は1906(明治39)年の建設。本家よりもやや小ぶりですが、それでも桁行8間半、梁間6間もある豪邸です。本家は表通りから一歩下がった場所にありますが、分家は通りに面しており、町並みを構成する重要な建築物といえます。 |
2つの帆足家のほかにも戸次には歴史的建造物が多く残り、修景も進められています。大分県内でも有数の古い町並みを見せる地区なのですが、ただひとつ残念なのは交通量の多いこと。このため、落ち着いて散策することができません。 | |