豊後高田
ぶんごたかだ

つくり出された昭和

豊後高田市では2001年、昭和の商店街の雰囲気を残す中心街で「昭和の町づくり」に着手しました。それから14年が過ぎたいま、全国から観光客が訪れる人気の町となっています。

【1】わたしが訪問したのはゴールデンウィークのこどもの日。多くの人であふれていました。観光客数は年間40万人を超えます。
【2】しっくい塗りの重厚な商家が残されています。
【3】ふつうの修景事業では、商家の看板は取り外される運命にあります。しかしここは「昭和の町」。あえて昭和っぽい看板を復元しているのです。

豊後高田はかつて国東半島一の繁華街であり、大分交通宇佐参宮線の駅も設けられていました。しかし町の賑わいは昭和30年代をピークに下り坂となり、1965(昭和40)年には鉄道も廃線。衰退する一方だった町で生まれたのが、「昭和の町」としての町おこしです。


豊後高田の町並み


昭和ロマン蔵前に不定期運行のボンネットバスが停まる

この事業は1998年ごろに議論されるようになり、2001年にスタート。翌年には、1935(昭和10)年ごろに建てられた3棟の米蔵(旧高田農業倉庫)が「昭和ロマン蔵」として改修されました。ロマン蔵には駄菓子展示施設などが設けられ、以来、町並み観光の核となっています。

昭和の町事業では、町並みを昭和風にする修景事業も行われました。古い町並みの修景といえば、昭和時代に設置された看板を撤去し、伝統的な商家のたたずまいをあらわにするものですが、ここでは違います。なんとあえて看板を昭和風につくりなおし、それを高々と掲げているのです。
また、店頭や店内に昭和を感じる「お宝」を設置することなどを推進しています。こうして豊後高田は、訪れるだれもが昭和を疑似体験できる町となりました。


豊後高田の看板建築


看板のない町並みもある


木製の建具が入った商家


桂川の東岸、玉津地区にも古い町並みは続く

「昭和の町」は事業開始直後からメディアで紹介され、キャッチフレーズが多くの人に響いたこともあり、観光客は増え続けました。事業初年(2001年)の来訪者は2万5700人。その2年後には20万2300人に急増し、2011年には40万人を超えました。空き店舗も年々減少し、町では次のステージである「定住人口の増加」に向け、さらなる施策を講じていくこととしています。


玉津地区の長屋


桂川のほとりに洋風近代建築が残る


【住所】大分県豊後高田市高田、中央通、玉津(地図
【公開施設】昭和の夢町三丁目館、駄菓子屋の夢博物館、昭和の町展示館
【参考資料】
「豊後高田市 商業と観光の一体化による中心市街地の再生−『昭和の町』」(PDF

2015年5月5日撮


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