山鹿
やまが

湯の湧くところ人は集まる

山鹿は熊本県北部の陸上・水上交通の拠点だったことに加え、温泉が湧き出たことで、古くから往来の盛んな町でした。そんな多彩な歴史を物語る建築物の数々が残されています。

【1】観光名所の八千代座。1910(明治43)年に建てられ、いまなお現役の劇場です。
【2】八千代座は街道から100メートルほど入ったところにあります。ここを通っているのが、参勤交代の道でもあった豊前街道です。
【3】八千代座ののぼりに遮られていますが、この町家は妻入りの主屋に平入りの見世蔵を接続させています。熊本県中北部で散見される様式です。

山鹿は町なかに湧く温泉施設と、明治建築の八千代座によって、年間を通して観光客の絶えない町となっています。当地の温泉の歴史は古く、保元2(1157)年に京より下向した武将の源親治が発見し、以来人々が集住するようになったといわれています。
山鹿の町並み

黒しっくいの重厚な町家が目を引く

町が大きく発展したのは江戸時代。山鹿を含む熊本県北部は当時、日本有数の穀倉地帯であり、これら米穀の流通経路に位置したことで栄えました。とりわけ山鹿は菊池川と豊前街道(小倉街道)の交点であり、水上・陸上交通の要として重要な位置にあったのです。

明治以降もこの地方の政治・経済の中心地として発展し、1910年には八千代座が完成(こけら落としは翌年)。以後、何度か増改築されていますが、明治時代の構造を維持し、国の重要文化財に指定されています。この八千代座、歌舞伎などの公演に用いられているほか、有料で一般にも貸し出しています。単に保存するのみでなく利用されているという点が、八千代座の魅力だと思います。
八千代座

平入りと妻入りを組み合わせた町家

古い町並みは豊前街道沿いに見られます。伝統建築の密度は熊本県でも屈指のもので、たいへん見応えがあります。商家は外壁をしっくいで塗りごめたものが多く、ほとんどが平入りですが、主屋が妻入りであるものも見られます。こうした家は見世蔵の大棟の上に、主屋の妻壁がのぞき、独特の外観をしています(左写真)


造り酒屋を営んだ幕末建築、大森家住宅

平入りの町並み


【住所】熊本県山鹿市山鹿(地図
【公開施設】八千代座、山鹿灯籠民芸館
【参考資料】
『熊本の町並み』財団法人熊本開発研究センター、1982年

2015年5月10日撮


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