上麓
うえふもと
人吉藩の麓集落
2003年の合併であさぎり町となった旧上村の中心集落、麓。南北に走るかつての馬場に、武家町の面影を見ることができます。 |
【1】全長350メートルの一本道は、乗馬や馬術の稽古に使われた馬場(麓馬場)でした。この両側に、かつて武家屋敷が並んでいました。 |
古い町並みめぐりをされている方は、「麓」と聞けば薩摩藩の武家町を連想するでしょう。江戸時代、武士は各藩の中心集落(城下)に集住させるのが一般的でしたが、薩摩藩では領内100カ所以上に設けた麓(府本)に分散させ、土地の監視にあたらせました。薩摩藩の麓集落には歴史的景観をとどめたものも多く、知覧、出水(いずみ)、入来などは広く知られています。 | 上麓の入口。巨大な冠木(かぶき)門が目印 |
上麓集落、麓馬場の景観 |
ここで紹介する上麓は、江戸時代には人吉藩の領地で、それ以前は上村氏の所領だったところ。つまり薩摩藩の統治下には置かれていないのですが、町並みは薩摩藩の麓集落とよく似ていますし、何より地名も「麓」といいます。 |
参考資料の『熊本の町並み』には、上麓は「近世以前に麓と呼ぶ社会的な制度によって成立した」とあります。私も不勉強なもので確かなことは分かりませんが、麓(府本)の概念が薩摩藩のオリジナルではなく、それより古いことが示唆されています。 | 薩摩藩の麓集落によく似ている |
L字平面の武家住宅 |
現在では武家住宅の遺構は数えるほどしか残っていません。しかし、帰農後に建てたと思われる馬小屋や納屋、石倉などの古建築が見られ、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。 |
大型の納屋が目を引く |
球磨郡に多い石倉も見られた |