高瀬
たかせ
喧騒の水辺 いまは静か
高瀬は菊池川下流にあって、物資集散拠点として栄えた商都でした。時代が移ったいま、かつて商人が行き交った裏川沿いは、市民や観光客の憩いの場となっています。 |
【1】菊池川と繁根木(はねぎ)川を結ぶ水路として開かれた裏川。高瀬は裏川に面した河港都市でした。裏川は1980(昭和55)年、国による水際緑化事業のモデル地に指定され、現在の「水際緑地公園」が整備されました。 |
港町としての高瀬の歴史は古く、平安時代から国際交易港になっていました。江戸時代には菊池川と繁根木川を結ぶ裏川が開かれ、河港には町場が発展していきました。しかし時とともに高瀬川の水底に土砂が堆積したことで港湾機能は失われ、幕末以降は、もっぱら外港の大浜との連絡を取り持つ場となりました。 | 裏川沿いの高瀬の町並み |
高瀬の町並み |
ここが河港都市として重要視されたのは、一大穀倉地帯を抱えていたため。江戸時代、熊本北部で産した肥後米は全国屈指の品質を誇り、大坂の米相場を左右するほどでした。その肥後米輸送の動脈だった菊池川下流域において、高瀬は最大の港町だったのです。 |
現在、裏川に並走する旧道沿いに古い町並みが見られます。しっくいで塗りごめた大壁造りの商家が多いのが特徴で、装飾を廃した素朴なつくりの家が目立ちます。旧道の東側に建つ町家は、裏川岸まで敷地をいっぱいに広げ、裏手には川に下りられる通用口が開けられていました。 | 旧道と裏川を結ぶ路地 |
重厚な商家が多い |
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このあたりでは連続した町並みが見られる |
高瀬では裏川の親水公園が早々と整備されたものの、旧道沿いの町家群にはそれほど関心が向けられなかったようで、観光客に向けた解説板なども設置されていませんでした。町並みもところどころで歯抜けしています。公園整備と合わせて町家の活用法も検討してもらいたいと思いました。 |