せき

守り固めた国境の町

関にはその名の通り、筑後・肥後国境の関が置かれました。町並みは断片的ですが、重厚な商家や幕末の御茶屋が現存しています。

【1】町を貫くのは豊前街道。国境に位置する関は、古代から交通の要衝として重要視されていました。
【2】町並み景観は保存状態がよくありませんが、ところどころに歴史的な商家が建っていました。
【3】この2軒の家、下屋が斜めにせり出しています。主屋が道路に対して斜めに建てられているので、土地を最大限に活用するため、こんな姿で増築したのでしょう。関は宿場町でもありましたから、死角をつくる目的で町家を斜めに建てたのかもしれません。

熊本県の北東端に位置する南関町(なんかんまち)は、現在ではお隣、福岡県大牟田市の都市圏に属しています。しかし隣国との往来に制約があった江戸時代まで、ここは肥後国最北端の要所として防衛上重要視され、会所や関所が置かれていました。
関の町並み

左が本来の街道。右がショートカット道

関の町なかには豊前街道(小倉街道)が通っています。この街道は町並みの途中で90度折れる点に特徴があります。国境の町という性質ゆえ、防衛のためかと思いきや、単に土地の制約によるものだったそうです。いまではカギの手の部分をショートカットする道も開かれています。

ところで、このショートカットする場所にトタンで覆われた寄棟の古民家があるのですが、正面から見ると東半分がばっさり切り捨てられているのに驚かされました(右写真)。

南関の御茶屋

豊前街道から一歩奥に入ったところに、江戸時代の御茶屋(南関の御茶屋)が残っています。御茶屋は藩主の休憩施設で、参勤交代や領地の視察時に使われました。現在の建物は嘉永5(1852)年に完成し、熊本藩だけでなく、人吉藩や薩摩藩の藩主も参勤交代の折に利用しました。

この御茶屋をはじめ、関には古い建造物が残されているのですが、連続した町並み景観はほとんど見られません。歴史的に重要な場所であるだけに、もう少し早い時期に町並み保全に着手してもらいたかったというのが正直なところです。
外装は改修されているが、上質な商家が多い

商家が2棟並んでいた

腰壁にレンガを使った古そうな家

「町並み」ではなく、民家が点在しているのが残念

ひときわ目立つ唐破風。薬局のようだが現役かは不明


【住所】熊本県玉名郡南関町関町(地図
【公開施設】南関の御茶屋
【参考資料】
『熊本の町並み』財団法人熊本開発研究センター、1982年
『角川日本地名大辞典(43)熊本県』角川書店、1987年

2015年5月10日撮


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