崎津
さきつ

へそのある村

天草下島西部、リアス海岸の深い入江に面する漁村が崎津です。のどかな漁村景観の中に、「存在感を示さずにはいられない」といった感じで、キリスト教会の尖塔がそびえ立ちます。

【1】1934(昭和9)年に竣工した崎津天主堂。熊本県を代表するキリスト教建築です。
【2】家と家の間にはトウヤと呼ばれる細路地があり、表通りから海岸へ抜けられるようになっています。
【3】海上にせり出した足場は「カケ」という漁師の作業場です。

「へそのある絵」というのをご存知でしょうか。代表的なのが葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」です。画面中央に置かれた富士山は一見、全体の構図とは無関係のように感じられ、見る者に唐突な印象を与えかねません。しかし、かりに富士山を隠してみると、絵の魅力は半減してしまいます。富士山を描くことで遠近感を出し、見る者に絵のストーリーを想像させる効果があるのです。

天主堂は崎津のへそだ

これになぞらえていえば、崎津は「へそのある集落」です。日本家屋が連なる漁村の真ん中に、何の脈絡もなく崎津天主堂がそびえ立ちます。あまりの違和感に天主堂を視界から外すと、崎津の風景は平凡なものになってしまい、天主堂が果たす景観上の役割がいかに大きいか思い知らされます。これほどドラマチックなアイストップをもつ町並みも珍しいと思います。

崎津のへそ、天主堂の歴史は古く、最初のお堂は永禄12(1569)年に竣工。以来、天草におけるキリスト教の布教拠点となりました。江戸時代に禁教令が出されると取り壊されましたが、信者は潜伏キリシタンとなって信仰を受け継ぎ、明治時代にカトリックに復帰。再び教会堂が建てられました。現在の建物は1934年に再建されたもので、九州に多くの教会を残した鉄川与助の設計によります。
道の先に天主堂が立つ


崎津天主堂に至る道沿い
天主堂を取り巻く崎津の風景は伝統的な漁村そのもの。明治以降は木炭や海産物の交易で栄え、集落の中心である諏訪神社と崎津天主堂を結ぶ道沿いには木賃宿も建てられました。左写真の右側の建物は大正期の旧木賃宿だそうですが、角地に建つ手前の家も歴史がありそうですね。
網元は明治期に4軒あり、そのうちの1軒が現存しています。入口には「お休み処」との看板も掲げられていましたが、長期休業中の様子でした。
旧網元住宅

街道沿いの町並み
これらの町家が並ぶ街道から「トウヤ」という路地を抜けると海に出ます。そこには「カケ」と呼ばれる足場が組まれ、いまでも漁師の作業場として使われています。
崎津では400年以上にわたるキリスト教の歴史と、天草屈指の良港としての景観が織り成す特異な風致を保ち、2011年、漁村として初めて国の重要文化的景観に選定されました。

「カケ」という作業場を海上に立てる

この大きな家は旅館か?


【住所】熊本県天草市河浦町崎津(地図
【公開施設】崎津教会

2015年8月16日撮


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