小島
おしま

港湾の足跡

小島は熊本中心街の西およそ8キロに位置するかつての河港都市。入り組んだ路地に、商家や醸造家の重厚な店舗が残ります。

【1】白川に下りる石段。かつての船着場で、宇土市で産する凝灰岩の一種、馬門石が使われています。
【2】航行の安全を祈念した恵比寿像が祀られています。
【3】街道はこちら側にあります。どの商家も間口が狭く奥行きが長い、俗に「うなぎの寝床」と呼ばれる敷地をもっています。

小島は白川と坪井川が200〜400メートルほどに近づく中州状の土地に位置しています。その立地を生かし、江戸時代には熊本の外港として整備されました。寛政4(1792)年には、島原の雲仙岳の山体崩落にともなう津波(島原大変肥後迷惑)で被災しましたが、その後復興し、多くの商家が建ち並びました。
小島の町並み

左の商家は幕末に建てられた海産物問屋

古い町並みは白川寄りに位置し、かつての堤防に沿って荷揚げ用の石段や安全航行を祈願した恵比寿像など、港湾ならではの遺構が残されています。


連続性は乏しいがいい商家が多い

白川沿いの堤防上の町並み

浜田醤油の建築群。手前から店舗、主屋、洋館

白川沿いの町並みで目立っているのが浜田醤油の建築群。店舗は江戸時代の建築で、これを明治期の主屋、三番蔵、昭和初期の洋館などが取り巻いています。2015年現在、敷地内の9棟が国の登録有形文化財になっており、これ1軒で見事な町並みをつくり出しています。


浜田醤油の三番蔵。奥が旧原料倉庫

浜田醤油三番蔵前の道。左は正泉寺
小島には明治天皇の足跡も残っています。明治5(1872)年、航空母艦の龍驤(りゅうじょう)に乗艦した天皇は小島に停泊し、当地で一夜を過ごしました。そのとき行在所(あんざいしょ)となった旧米村家や、随員だった西郷隆盛が宿泊した角(かど)屋敷跡などが、町の歴史を物語っています。
明治天皇行在所、旧米村家住宅

角屋敷跡(右)


思いのほか伝統建築が残っていた


【住所】熊本県熊本市西区小島6・7丁目(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『熊本の町並み』財団法人熊本開発研究センター、1982年

2015年8月16日撮


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