大浜
おおはま

高瀬の落日きっかけに

菊池川河口の左岸にある大浜は、江戸時代後期に整備された港町。緩やかにカーブする道の両側に、古い商家が点在しています。

【1】大浜には江戸期の廻船問屋が3棟現存しています。これはそのひとつの市原屋。瓦を水平に貼るなまこ壁は、熊本県に多く見られます(全国的にはひし形に貼ることが多い)。
【2】廻船問屋の神亀丸(しんきまる)。頻発する火災から家を守ろうと、大浜の町家はしっくいで塗りごめられました。
【3】久吉丸。往時の姿を最もよく残す廻船問屋といわれます。

大浜は高瀬の南3キロのところにある菊池川の河港町です。もとは漁村でしたが、江戸時代の中ごろ、菊池川に土砂が溜まって高瀬港が供用不能になったことを受け、天明・寛政年間(1781〜1801)ごろから代替港として急速に発展していきました。
大浜の町並み。カーブが連続し見通しが利かない

現存する廻船問屋のひとつ、市原屋

大浜の繁栄を支えたのが肥後米です。菊池川流域で収穫された肥後米は、大坂の市場で米相場を決める四大銘柄(四蔵米=しぞうまい)のひとつとされました。時期は不明ですが、高瀬藩から年間25万俵が積み出されたこともあったようです。

こうした流通経済に支えられて、大浜にはいくつもの廻船問屋が創業しました。綿や油などの産品を扱う商店も軒を連ね、いつしか「浜千軒」と呼ばれる町場が形成されたのです。
最も保存状態のいい廻船問屋、久吉丸

古い商家


廻船問屋の大坂屋跡か(案内板なく不明)


廻船問屋の神亀丸。手前はかつての火除け地
大浜の繁栄の妨げとなったのが、頻発する火災でした。これを受け町並みには4カ所の火除け地が設けられ、耐火性を高めるため町家の外壁はしっくいで塗り固められました。こうした構造を当地ではイグラ造りと呼んでいます。町並みは連続性こそ低いものの、重厚なイグラ造りの町家が数多く残され、とても見応えのあるものでした。

路地裏にもイグラ造りが点在する


茅葺きの小さな家は漁家だろうか


【住所】熊本県玉名市大浜町(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『熊本の町並み』財団法人熊本開発研究センター、1982年

2015年5月10日撮


戻る