登立
のぼりたて

町並み栄枯盛衰

登立は天草諸島の最北端、大矢野島の中心地。古くは農業と漁業を営む集落で、干拓によって面積を拡大していった経緯があります。

【1】登立は干拓地の農村として開発されました。直線的な道路網は、干拓当初の名残りでしょうか。
【2】歴史的な商家が多く見られます。天草諸島の北の中心地として、往来が盛んだった時代をしのばせます。
【3】しかし今日の登立では空き家が目立ちます。この家も見たところ無住のようでした。屋根が崩れかけた商家もあり、対策が急務となっています。

大矢野島は天草諸島で4番目の広さをもち、平成の大合併以前は大矢野町として独立していました。その中心集落が、島のほぼ真ん中に位置する登立です。
登立の町並みは上天草市役所の北東に延びています。天草観光で多くの人が走る天草パールライン(国道266号線)からは東へ外れた場所で、訪れる人も少なく、静かな町並みが広がっています。

登立の町並み

道路が直線的なのは干拓地だからか?

登立の歴史は調べても詳しいことは分かりませんでしたが、干拓によって開けた土地のようで、角川の地名大辞典には「現在商店街の中心部となっている地も、寛文元(1661)年に干拓された田鋤ノ越新田にあたる」と説明されていました。

その後も半農半漁の集落として多くの人が暮らし、幕末期には戸数512、人口3,596人を数えたそうです。これは一介の農村・漁村にしてはあまりにも多い人数で、ちょっとした町場をしのぐ大集落だったことがうかがえます。
石垣が立派な旅館があった

現在、古い町並みが続く旧道には空き家が多く、傷んだ町家や古民家も目に付きます。そもそも登立に関しては情報が乏しく、歴史や文化的背景なども詳細には検証されていない可能性があります。町並み保全を視野に入れた調査が必要だと感じました。


【住所】熊本県上天草市登立(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『熊本の町並み』財団法人熊本開発研究センター、1982年
『角川日本地名大辞典(43)熊本県』角川書店、1987年

2015年8月16日撮


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