川尻
かわしり

水の香りは遠ざかり

熊本藩の河港都市だった川尻には、江戸時代の米倉や石段など往時の名残りがたくさん残っています。いまはその傍らを九州新幹線が疾走し、過去がさらに遠くなった感があります。

【1】14段の石段は藩政期の名残り。川尻には米倉があり、ここで船に積まれました。
【2】手前が在来線の高架橋、奥が九州新幹線の高架橋です。一時、「新幹線建設で川尻湊の遺構が失われる」との懸念もありましたが、2010年に国史跡に指定され、保存されることとなりました。
【3】ここに赤レンガの公衆便所跡があります。熊本県の公衆便所、第一号なんだそうです。

川尻は薩摩街道と加勢川の接点にあり、古代から国際貿易港として発展してきました。港湾の整備が本格化したのは加藤清正の熊本入城後。藩主が細川氏に代わってからは奉行所、御茶屋、御倉などが設置されました。江戸時代、全国屈指の米どころだった熊本にあって、年貢米の集積地たる川尻はとても重要な位置にあったのです。
川尻の船着場

船着場にある熊本県最古の公衆便所跡

川尻の町並みは南北に走る薩摩街道沿いと、そこから西に分かれて加勢川の港に向かう道沿いに広がっています。とくに港湾の遺構は保存状態がよく、国の史跡に指定されるほど。全長150メートル、14段(江戸時代は13段)の石段が続く船着場や、2棟の御蔵(おくら)が残されています。

御蔵は江戸時代には9棟あり、東蔵、西蔵、外城蔵と、3カ所に3棟ずつまとめて建てられていました。現存するのは外城蔵の2棟で、建設は幕末ごろと考えられています。熊本各地から集められ、蔵に蓄えられた年貢米は、川尻港で船に積まれ、下流へ8キロほどの緑川河口で大型船に積み替えられて大坂をめざしました。江戸時代の藩の米倉が現存する場所は全国でも数えるほどしかなく、大変貴重です。
2棟の御蔵が並び建つ

御蔵。明治以降は農協の倉庫になった


1931(昭和6)年築の川尻公会堂。東蔵跡地


瑞鷹酒造資料館。袖壁がレンガ
川尻港に通じる街道沿いには古い町家のまま営業を続ける酒造店や米穀店、雑貨店などが連なり、良好な町並み景観を残しています。その中の1軒、瑞鷹(ずいよう)酒造は慶応3(1867)年の創業。薩摩街道の西に広大な敷地を有し、社屋や倉庫、旧蔵などが市の景観形成建造物に指定されています。

瑞鷹酒造の建築が道沿いに連なる
薩摩街道沿いの歴史景観は断片的ですが、お寺の山門が点在し、落ち着いた町並みを見せています。地元の方から、川尻はかつて「肥後の小京都」といわれたと聞きましたが、納得の景観でした。


薩摩街道沿いの景観


薩摩街道沿いの町家群


薩摩街道沿いの町家


【住所】熊本県熊本市南区川尻1・3・4丁目(地図
【公開施設】瑞鷹酒造資料館
【参考資料】
『月刊文化財』2010年9月号所収、「新指定の文化財」

2009年12月28日撮


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