日奈久
ひなぐ

路地を見下ろす木造三階

日奈久は600年の歴史をもつ温泉地。細路地が続く町を見下ろすように、木造三階の旅館建築が建てられています。

【1】不規則に延びる路地が、日奈久の温泉町の風情を演出します。
【2】観光案内板によれば、日奈久には7軒の木造三階旅館があるとのことです。
【3】漁村でもあった日奈久には、恵比寿像があちこちで祀られています。こちらも数は7基。

日奈久は熊本県南部、八代海を臨む湯治町。古くは漁村で、応永16(1409)年に温泉が発見されたのを機に、湯治場として発展していきました。明暦2(1656)年に熊本藩主の命で大浴舎が建てられて以降、藩営温泉として栄え、その後も次々と新しい源泉が発見されていきました。
金波楼の夜景

旧薩摩街道の景観。右は村津家住宅

日奈久には薩摩街道も通っていました。薩摩藩の藩主は参勤交代の折、船で日奈久へ入港し、当地の温泉に入るという慣習があったそうです。
旧薩摩街道はいまも町の真ん中を南北に走っています。温泉旅館が連なるエリアから北へ足を延ばすと、古いたたずまいの商家が多く見られました。

商家の中で一段と立派なのが、明治時代の村津家住宅。主屋と土蔵を一体化させた外観が特徴的です。外周をぐるりとしっくい壁で塗り固めた姿は要塞さながら。解説板によると、火災発生時に類焼を食い止める役目が期待されていたそうです。
村津家住宅

なまこ壁の路地

この村津家住宅をはじめ、日奈久の旧街道沿いではなまこ壁が目を引きます。なまこ壁というと、全国的には瓦をひし形に組んだものが多数派ですが、日奈久を含む熊本県では水平に並べているのが特徴です。


旧薩摩街道沿いの町並み

旧薩摩街道沿いの町並み
日奈久温泉は長らく近隣住民の湯治場として利用されていましたが、1923(大正12)年に鹿児島本線が開通すると、遠方からも人が訪れる観光地に発展しました。このころより旅館も大型化していきましたが、そのさきがけをなしたのが1909(明治42)年竣工、翌年開業の金波楼です。
金波楼

後ろから見た金波楼

金波楼は当時九州最大を誇った温泉旅館で、木造三階建築としては現在でも熊本県最大とされています。度重なる増築によって複雑化した平面と屋根形、華麗な印象を与える外観のガラス戸などが美しい名建築です。

日奈久温泉には金波楼のほかにも木造二階・三階建ての温泉旅館が多数残されています。とくに木造三階は、現地の観光地図によれば7棟が現存しているようですが、この多さは全国的にも特筆すべきものだと思います。
新湯旅館。木造三階

鏡屋旅館。木造三階

八代屋旅館。現存では最も古い、1877(明治10)年の営業記録をもつ


柳屋旅館。金波楼の並びに建つ


【住所】熊本県八代市日奈久中西町、日奈久上西町、日奈久中町、日奈久東町、日奈久浜町(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(43)熊本県』角川書店、1987年

2015年8月15日撮


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