鰐浦
わにうら

小屋と空き地の関係

小屋をまとめて建てた「コヤヤシキ」は、対馬島の集落の代表的な景観。鰐浦のコヤヤシキには島で一番多い150棟以上が密集しています。

【1】防火対策と作業効率向上のため、対馬島には集落ごとに小屋をまとめて建てる習慣がありました。こうした土地をコヤヤシキといいます。
【2】小屋が面する空き地は「ベー」「ベードコ」と呼ばれます。個人の所有地ですが、目に見える仕切りはなく、集落共有の作業場として機能しています。
【3】鰐浦の小屋は軒の出が浅く、小ざっぱりとした印象を受けます。対馬島南部の小屋(とくに椎根などの石屋根の小屋)が深い軒をもつのとは対照的です。

対馬島の最北端、朝鮮半島まで50キロ少々という国境の集落が鰐浦です。鰐浦では入り江に近い三角州に153棟もの小屋が建ち並び、対馬島で最大の「コヤヤシキ」を形成しています。
左右に小屋が迫る鰐浦のコヤヤシキ

ベーを囲むように小屋が並ぶ
鰐浦は海辺の町ですが、対馬藩では海産物を年貢と認めなかったため、住民はみな農業に従事していました。(いまでこそ多くの方が漁業を営んでいます)。とはいえここは、田んぼが一枚も開けない狭い土地。人々は舟を繰り出して岬を越え、遠くの開墾地をめざしました。
田畑へ向かう人は、小屋から農機具をもって舟を出し、帰ってくると船着場で農作業の続きをしました。入り江にあるだだっ広い空き地の「ベー」(場)は、こうした農作業を行う場であり、そこに並ぶ小屋は、農機具や穀類の保管場所でした。


小屋の内部は2、3の区画に分かれているという


海岸から50メートルほど内陸に入ると居住空間が始まる

対馬島の集落は、主屋が並ぶ居住空間と、小屋が並ぶコヤヤシキとが明確に区切られています。鰐浦でも、入り江に面してコヤヤシキがあり、居住空間はそこから山側に向け広がっています。

鰐浦集落の屋敷数はおよそ50戸。小屋の数が153棟ですから、1軒平均3棟もの小屋をもっている計算になります。農具の保管場所として始まった小屋は、やがて家財道具を納めるようになり、その数を増やしていったのです。


古い平屋づくりの農家や、四方に庇をめぐらせる家も散見された


日没後の散策となったため、感度をあげてもこれが限界...

ところで、たった1日の(それも日の短い1月に)対馬島弾丸ツアーを行ったため、最果ての鰐浦集落に着くころには日が暮れてしまいました。いずれまた訪問し、じっくりと散策したいと思います。そのときには対馬から朝鮮半島へ渡り、日本建築のルーツをめぐる旅を企画したいものです。


【住所】長崎県対馬市上対馬町鰐浦(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『小屋と倉』安藤邦廣・筑波大学安藤研究室著、建築資料研究社、2010年

2014年1月26日撮


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