出津
し つ
目に鮮やかな紐しっくい
長崎には明治以降に建てられた教会建築が50以上も残っていますが、教会と集落景観がセットで残る場所となると多くはありません。出津はそうした数少ない場所のひとつです。 |
【1】出津には絶えず海風が吹き付けるため、屋根瓦は風で飛ばされないよう、しっくいで固定しています。こうした紐しっくいは全国各地の強風地帯に見られますが、旧出津救助院は修復を終えたばかりで、黒い瓦と白いしっくいのコントラストが鮮やかでした。 |
西彼杵(にしそのぎ)半島中西部の外海地区は、平地が少なく、多くの船舶が停泊できる港もなかったことから、これといった産業のない貧しい土地でした。そこへ1879(明治12)年、布教のため着任したのがフランス人のマルク・マリー・ド・ロ神父。神父はこの地に産業を興すべく農地を開墾し、作業場や工場を建設。やがて授産の拠点となっていきました。 | |
出津教会。レンガ造りの外壁にしっくいを塗っている |
出津のシンボルが、ド・ロ神父が設計して1882(明治15)年に建設された出津教会。尖塔の高さが際立つほど、屋根を低く抑えているのが特徴です。これは風の抵抗を抑えるため。開口部も少なく、ステンドグラスはありません。 |
教会の下には漁業振興のためにつくられた旧イワシ網工場(現ド・ロ神父記念館)が建ち、その向かいにはマカロニやそうめん、織物などの生産方法を伝授した旧出津救助院があります。 これらの産品のうちそうめんはド・ロ神父の授産により各家庭でつくられるようになりましたが、戦時中に断絶。1981(昭和56)年に再現事業が開始され、現在ではサントリーフードが事業を継承し「ド・ロさまそうめん」として製造、販売しています。 |
旧イワシ網工場 |
旧出津救助院の建築群 |
修復を終えたばかりの旧出津救助院の屋根 |
旧イワシ工場のド・ロさま壁 |
これらの建築物で特徴的なのが石壁で、地元では「ド・ロさま壁」と呼ばれています。赤土、石灰、砂を水でといたセメントを用いて、この地方で採れる結晶片岩を固定したものです。 出津救助院の南側には高さ3メートルほどのド・ロさま壁が見られます。旧イワシ工場の入口部分も、外側はしっくいで塗っていますが、内側からはド・ロさま壁の構造が見えます。 |
出津では一連の授産施設を「出津文化村」として保存・公開しています。これらの周辺には民家が点在していますが、町並みというよりは散村に近い印象で、起伏に富んだ谷間のところどころに、ときに高石垣を築いて家を建てています。 | 石垣をもつ家 |
起伏に富んだ集落景観 |
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東シナ海を背に家が建つ |
民家の中には建て替えられたものもありますが、これも強風の地であれば仕方ないでしょう。しかし景観を乱すような建築は見られず、新しい住宅も自然に溶け込むようにたたずんでいるのが印象的でした。 |