玖島
くしま

はなはだ美なる五色の練塀

玖島は玖島城下の武家町。北東−南西方向に延びる5本の道は「五小路」と総称され、家老や元締役の住宅遺構が残されています。

【1】五小路のうち最も西にある草場小路。視界をさえぎる武家町特有の道路、枡形(ますがた)が残ります。
【2】枡形の先にあるのが「五色塀」。多色のサンゴ石をしっくいで塗り固めています。同様の練塀は玖島ではほかにもありますが、草場小路のものが最も見事です。
【3】塀の中の屋敷(福山家)も立派ですが、由緒などを記した案内板はありませんでした。

玖島はJR大村駅の南、玖島城跡の東に位置する武家町。その範囲はおよそ600メートル四方で、武家町の多い九州にあって、とりわけ規模の大きな町となっています。町の骨格をなすのが江戸時代に起源をもつ5本の道(五小路)で、この道沿いに家老や元締役の住宅が見られます。
本小路の五教館御成門

本小路のO家住宅
五小路のうち中央を走るのが本小路。沿道には藩校の五教館(ごこうかん)や会所があり、名実ともに玖島武家町の中心をなしました。現在の本小路には藩校の遺構として御成門が現存するほか、アプローチに枡形をそなえた武家屋敷が点在しています。
最も西にある道が草場小路。道の途中に枡形があり、ちょうどその場所に建つ福山家住宅に「五色塀」が見られます。五色塀とは多色のサンゴ石を埋め込んだしっくい壁のこと。藩政期から多くの人の目にとまり、江戸時代後期の医師、橘南谿(たちばな・なんけい)は紀行『西遊記』にこう記しています。
「肥前大村には青黄白赤黒の五色の海石あり、甚だ美なり。大村領の寺院又は大家などは其の塀皆此の五色の壱尺わたりばかりなるを築き上げて門の塀となす。甚だ見事なるものにして世間に稀なり」

福山家の五色塀

中尾家住宅。文政9(1826)年築

五色塀は福山家住宅のほかにも数カ所に現存。日向平武家屋敷街にある元締役宅、中尾家住宅のものは切石積みの石垣と五色塀を組み合わせたもので、見ごたえがありました。

また、本小路から東に枝分かれする岩船武家屋敷街、その東の小姓小路、日向平武家屋敷街には豊かな屋敷林を構えた武家屋敷が点在し、良好な歴史景観をいまに伝えています。


五小路のひとつ、上(うわ)小路。道幅が広く、一直線に伸びる


本小路の北の外れにある旧楠本正隆屋敷。明治3(1870)年築

緑豊かな小姓小路の町並み


【住所】長崎県大村市玖島1・2丁目(地図
【公開施設】旧楠木正隆屋敷
【参考資料】
大村市->五色塀

2009年12月30日、13年5月2日撮


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