久根浜
くねはま

海辺の畑地

江戸時代の対馬島では漁業が禁じられていたため、海辺の集落でも農業が営まれました。久根浜は明治時代に開拓された新村ですが、ここでも海辺に迫る畑が見られます。

【1】対馬藩は年貢を農作物に限り、海産物の献上を認めませんでした。海岸近くにまで畑が迫る光景は、対馬ならではのものです。
【2】畑には小屋が建てられています。主屋から離れた場所に建てることで火災対策としているほか、作物を保管するという機能上、作業効率をあげているのです。
【3】ほとんどの小屋が瓦葺きですが、かつては石葺きでした。久根浜には石屋根の小屋が3棟残っていました。

地形の険しい対馬島では、集落は海辺の限られた平地に築かれています。しかし歴史的な漁村は、厳原(いずはら)の曲(まがり)のみ。対馬藩は曲集落を除き、農作物のみを年貢として受けていたため、どの村でも農耕が営まれました。
もちろん、いまでこそ漁業権は解放されていますが、海岸近くまで畑の広がる対馬島の集落景観に、歴史はしっかりと刻まれています。

浜辺に並ぶ小屋

下屋を覆う外壁が特徴的
久根浜には約20棟の小屋があります。そのうち石屋根は3棟で、残りは瓦に葺きかえられています。
ちなみに、ここ久根浜では海岸線に対して妻入り、有名な椎根集落では川に対して平入りと、対照的な集落景観を見せてくれます。こうした違いがなぜ生まれたのかは、参考資料にも書かれていませんでしたが……。

石壁をもつ小屋もあった


左の小屋の内部


久根浜の石屋根の小屋


椎根に比べ、屋根材の石板は小ぶり

久根浜の小屋は集落の隅に寄せて建てられています。火災時に延焼するのを防ぎ、農作業の効率をあげるのがその理由です。


久根浜の家並み。対馬に多い、庇をめぐらせた農家群


破風から板壁を下げる。高知の「シトミ」に似た造作

浜辺から小屋群を抜けて集落に入ると、主屋や納屋にも古い木造建築が多く、見ごたえがありました。外観の特徴のひとつが、妻壁に高知県で見られる「シトミ」に似た板があること。高知県の例と同じく、強風対策なのでしょう。


【住所】長崎県対馬市厳原町久根浜(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『日本の美術(406) 離島の建築』至文堂、2000年
『小屋と倉』安藤邦廣・筑波大学安藤研究室著、建築資料研究社、2010年

2014年1月26日撮


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