春日
かすが

見える風景、見えない信仰

春日はいまもカクレキリシタンが信仰を守り続ける地。棚田が広がる集落景観の中に彼らの信仰を思わせるものは見あたりませんが、信者の家では聖具や御神体が祀られているそうです。

【1】春日は16世紀にキリスト教宣教師が訪れた地区のひとつ。その後の弾圧の時代、信者が身を隠したと伝わる洞窟などが、春日の海岸には残されています。
【2】棚田は400年前の入植者が築いたもの。海岸線から内陸にかけ、実に1キロもの範囲にわたっています。
【3】石垣の上に家が点在します。カクレキリシタンはいまも聖具や御神体を守り続けているとのことです。

春日は平戸島の西部、生月(いきつき)島を間近に望む海岸にある集落。もとは松浦家の家臣でキリシタンだった籠手田(こてだ)氏の所領で、平戸島で最も古いキリシタンの拠点のひとつでした。永禄4(1561)年に平戸島を訪れたポルトガル人のアルメイダ修道士は、春日について「村民は全員キリシタンで、このとき、海陸の眺望のよい場所に会堂を建てさせ、装飾は平戸から送った」と報告しています。
春日集落の景観

棚田の石垣
キリスト教の禁教後も春日では信教が続けられました。このためキリシタン弾圧の地とされることもありますが、なんと春日では現在もカクレキリシタンがその信仰を守り続けています。
カクレキリシタンとは、明治時代にキリスト教が認められたあとも潜伏時代の信仰や習慣を継承する人たちのこと。キリスト教、仏教、神道、自然崇拝が渾然一体となった独特の信仰を伝えています。
しかし現在の春日には、信仰を思わせる遺構はほとんど残されていません。それもそのはず、カクレの人たちは自らの家を聖室としたため、祀りの場所や石造物などの多くは住宅周辺の私的な空間に集められているからです。このため一見しただけでは海沿いに棚田の広がる、日本の典型的な農村風景と見分けがつきません。
棚田の真ん中に祠があった。カクレの信仰に関するものか?

棚田から納屋へ続く石垣のうねりが美しい
春日にはキリスト教の聖具と仏壇、神棚を一体化して祀る家が残るほか、遭難者伝説にちなんだ集落の祭りも継承されています。キリスト教伝来から今日に至る独特の信仰形態を維持していることにより、2010年には「平戸島の文化的景観」として国の重要文化的景観に選定されました。

高さ2メートルを越す石垣も見られた

石垣で整地した上に家を建てている
余談ですが、カクレキリシタンは現在ではもはや“隠れ”ていないため、「カクレキリシタン」「かくれキリシタン」と表記するのが一般的です。本稿では学術的に使用されるカタカナ表記で統一しました。


海べりに神社(春日神社)があった


【住所】長崎県平戸市春日町(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
「文化的景観の分析手法に関する報告 無形の要素を中心とした『平戸島の文化的景観』の調査」植野健治・井上典子著、『都市計画報告集』第10号(2012年2月)所収

2013年4月30日撮


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