壱岐の触
いきのふれ
島じゅうに散らばる農家
壱岐島では農村を「触」といい、小字名として残る「触」は99カ所あります。すべて散村で、壱岐島の伝統的な農村に集村はありません。 |
【1】壱岐の触では南東向きの丘陵斜面を整地し、そこに家を建てました。家の背後には北西の季節風を防ぐための山がそびえます。これを背戸山(せどんやま)といいます。 |
村には家が密集する集村と、広範囲に散らばる散村の2種類があります。壱岐島では「浦」と呼ばれる漁村が集村を、「触」と呼ばれる農村が散村を形成します。農家の数は島全体で5000戸といわれますが、見事なまでにすべてが散村。伝統的な集村はひとつもありません。 | 壱岐島の散村景観(本宮仲触) |
高台に宅地、低地に田んぼが広がる(本宮東触) |
壱岐島では水田の面積を広く取り、各戸の耕作面積を均等にするため、それぞれの宅地間の距離を100〜500メートルもあけ、ゆったりとした村づくりが行われました。これが、独特の散村景観が生まれた理由。原則として宅地は標高30メートル以上のところにつくられ、それより低い場所に水田を開きました。 |
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触では田畑は共有地とされ、10〜20年ごとに所有権が割り替えられました。ただし、家の背後の背戸山と、前に広がる前畑は私有が認められ、所有者はこれらの維持・管理に心を砕きました。背戸山に大木が生える景観が何よりも好まれ、建材などとして伐採することは忌まれたといいます。同様に前畑を抵当に入れることは、家の破滅の前兆と見なされました。 |
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背後に背戸山、手前に前畑がある(諸吉二亦触) |
主屋を平入り、付属屋を妻入りとするのが一般的(釘山触) |
壱岐島の触は散村ですから、いわゆる「歴史的な町並み」を期待することはできません。それでも丹念に見ていくと、古い農家がそこかしこに残されていました。 とくに興味深い建築が、諸吉二亦触(もろよしふたまたふれ)にありました。民家に付属する土蔵で、屋根に大きな気抜けを設けています。関西地方の山間部に多い葉たばこの乾燥小屋にそっくりですが、壱岐島でも葉たばこ栽培を行っていたのでしょうか。 |
2棟の小屋は葉たばこの乾燥小屋だろうか(諸吉二亦触) |
小屋の庇(諸吉二亦触) |
この建築について壱岐市の教育委員会に問い合わせたのですが、残念ながら由緒や築年数は不明とのこと。ただし、かつては壱岐島でよく見られる建築様式だったこと、また、大きな庇は、農作物を陰干しするのに使ったということを教えていただきました。 |
2014年1月27日撮影 |