千尋藻
ちろも

島の風景も変わりゆく

対馬旅のバイブルとした『日本の美術(406) 離島の建築』のカラー口絵に、「海にせり出す竹スノコ」というタイトルで、千尋藻の写真が載っていました。この光景を見ようとやってきたのですが、残念ながら竹スノコは失われていました。

【1】平地の少ない対馬では、海に面する宅地から魚棚と呼ぶ竹スノコをせり出す習慣がありました。しかし護岸整備などで次々と姿を消してしまいました。
【2】無造作に積み上げられた丸木。所有者が亡くなり、ここにあった「竹スノコ」は2008年ごろに解体されたそうです。
【3】対馬に特有の平柱を使った小屋が点在しています。

無数の湾が切れ込んだ対馬島中央部。ひときわ大きく、縁起のいい名前の大漁(おろしか)湾に面して、千尋藻の集落はあります。ここでは土地確保と漁作業の便を図るため、海上に「魚棚」と呼ばれる構造物をせり出しているのが特徴。しかし、全長20メートルはあろうかという集落最大の魚棚は、わたしが訪問した2014年1月には失われていました。湾岸には幅4、5メートルほどの小規模な魚棚が断片的に残り、かろうじて往時の風景をとどめていました。


屋根付きの魚棚

小さな魚棚は湾のところどころで散見される
千尋藻を歩いていると、一人のご婦人に出会いました。

――昔はここに竹スノコがありましたよね?

ええ、ありましたとも。「ヤナダ」と呼んでいました。すごいスノコだったんですけどね、5、6年前かな、持ち主が亡くなって、「子どもらが遊ぶと危ない」いうて外してしまったんですよ。前は私たちも便利に使わせてもらってました。舟を着けたり、魚の生簀をぶら下げたり、とても便利でした。

――ヤナダを外してからは、生簀はどこに掛けているのですか?

岩壁から直接、生簀を下ろすの。だけど、波が寄せるから、岸にこすれて破れてしまうんですよ。ヤナダは奥行きが5メートル以上はあったと思います。その先から魚を釣ったり、タコさんなんかもよく上がってきよったですよ。子どもたちも海へ飛び込んだりね。でもヤナダを取ってから、海が変わってしまったような気がします。いよいよ何もいなくなってしまった。


民家は建て直されたものが多いが、小屋には古そうなものがたくさん


バラしたスノコが無造作に積み上げられていた

――潮の流れが変わったのかもしれませんね。

そう思います。前はヤナダの支柱にワカメも着きよったんですが、ヤナダがなくなったからか、もうワカメも生えなくなったし、貝も着かなくなった。こーんなに(バスケットボール大)頭の大きなタコもよう寄ってきよったけど、もう来んなった。
それに養殖もするようになって、いろいろなものが海に流れていることも関係しているかもしれません。家の排水を海に流すようにもなって。みんな海を大切にしなくなりましたよ。

3月になったらトコブシがいっぱい着いたんだけど、それがもう全然……。いまもトコブシは採れるけど、身は小さいし、固くてとても食べられない。ワカメも、海岸いっぱいに生えたんだけど、いま見てごらんなさい。1本も生えていないでしょう? 私たちも考えていかんといけないですよ。


対馬の小屋は高床式だが、ここまで床が高いものは珍しいと思う
ご婦人はかつての千尋藻の景観をとても懐かしんでおられました。そして、海と距離を置くようになった人々の暮らしを嘆いていらっしゃいました。
離島といえど、集落景観はどんどん変わっていくのですね。


【住所】長崎県対馬市豊玉町千尋藻(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『日本の美術(406) 離島の建築』至文堂、2000年

2014年1月26日撮影


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