椎根
しいね

なぜ屋根が石なのか

対馬島に特異な建築が、石屋根の小屋。かつては島じゅうに見られたそうですが、いまでは南西部にしか残っていません。

【1】対馬島の伝統建築といえば、屋根を石で葺いた「石屋根の小屋」。江戸時代、瓦の使用が制限されたため、防火・防風性能を上げようと、財産を蓄える小屋の屋根を石で葺いたのです。
【2】椎根川の両岸に20棟の小屋が集中しますが、現在、石屋根は5棟のみ。1982〜83(昭和57〜58)年ごろから瓦葺きに改修されるようになりました。
【3】対馬の小屋は柱も独特で、断面が長方形の「平柱」になっています。平柱を使った建築は、日本ではほとんど例がありません。

九州と朝鮮半島のあいだに浮かぶ対馬島は、古くから文化交流の中継地点として発展しました。絶えず異文化の影響を受けてきた土地柄をうかがわせるエキゾチックな建築遺構が、石屋根の小屋です。
大正末年に建てられた石屋根の小屋

切石を何段も重ねた重厚な棟
上・左の写真は椎根を代表する桐谷家の小屋です。1926(大正15)年の築で、椎根でもひときわ立派なつくり。長崎県の有形文化財に指定され、対馬の観光パンフレットに必ずといっていいくらい登場する名建築です。屋根材は地元産の島山石で、これを成形して使います。ひとつの切石は大きなもので長さ6.5メートル、幅1.5メートル、厚さ12〜18センチほどになるといいます。

 

石屋根の小屋は、かつて対馬島の至るところで見られました。しかし近年、急速に瓦葺きに改修され、いまでは島の南西部に合計40棟ほどが残るのみとなりました。そのうち5棟が椎根で見られます。


椎根川に沿って小屋が並ぶ。多くは瓦に葺き替えられている


防火のため、小屋は居住地から離して建てられた
石屋根の小屋の起源については不明なことも多いようですが、瓦の使用が禁じられた江戸時代に生まれたようです。
「瓦の代用品」だった石屋根は、やがて各家のステイタス・シンボルになっていきました。屋根材に使う石は、もとは各集落の裏山で採られたようですが、大正時代に発破技術が導入されると、浅茅湾(あそうわん)の島山で採れる良質の泥板岩が流通しました。対馬の人々は、こぞって見栄えのいい島山石で屋根を改めていったのです。

西原家の小屋。格子状の意匠が見られる

椎根の景観。小屋以外に古い建物は少ない

対馬島の建築は柱も独特。四隅は角材を使っていますが、それ以外は断面が長方形をした「平柱」を使って建てられています。小屋に限らず、伝統的な家はみな平柱を使用していますが、こうした建築は日本では非常に珍しいものです。
木の種類はシイやツバキ。石屋根の重さにも耐えうる硬木です。対馬暖流のおかげで温暖な対馬島には照葉樹林が発達し、石屋根建築が発達する素地が築かれたともいえます。

旗原家の小屋。幅44センチ、厚さ12センチの平柱で建てられている

長瀬家の小屋。垂木も骨太で頼もしい
ちなみに平柱は、山で切り出した丸太を半分に切って製材する習慣から生まれました。
同じ工法は台湾や東南アジアでも見ることができます。しかし文化的に両者は同根なのか、解明されていません。


【住所】長崎県対馬市厳原町椎根(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『日本の美術(406) 離島の建築』至文堂、2000年
『小屋と倉』安藤邦廣・筑波大学安藤研究室著、建築資料研究社、2010年

2014年1月26日撮


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