塩田津
しおたつ

町を支えた動脈2本

塩田津は潮の干満差を利用して発展した近世の河港都市。塩田川と長崎街道という2本の動脈に挟まれて、しっくい塗りの商家が建てられています。

【1】塩田津の町は旧塩田川(浦田川)の西岸に位置します。有明海から5キロほどのところにあり、干満差を利用した河港として発展しました。
ちなみにここに建つ板張りの建築は、荷揚げなどを行った旧肥前陶土組合検量所です。
【2】旧塩田川に並走するのが長崎街道。ここは佐賀、長崎、武雄などを結ぶ陸上交通の要衝でもありました。明治時代には馬車軌道が引かれたといいます。
【3】町並みで多いのが居蔵家(いぐらや)と呼ばれる蔵造りの町家です。江戸時代の大火や大風ののちに、耐久性の高い家として普及しました。

塩田津の起源は平安時代、京都仁和寺の末寺として常在寺が開創されたことに始まります。当初は門前町でしたが、やがて陸上・水上交通の結節点として繁栄をみるようになりました。江戸時代に佐賀藩の支藩・蓮池藩の領地になってからは、米や陶磁器、天草陶石(陶磁器の原料)などの積み下ろしが盛んに行われるようになりました。
妻入りの家並み

多種の建築が見られる長崎街道

一帯の経済拠点となった塩田津では、長崎街道沿いに商家が建ち並ぶようになりました。現存する家は2階をしっくいで塗りごめた居蔵家(居蔵造り)が多いのですが、妻入りと平入りが混在し、変化に富んだ町並みを構成しています。

塩田津で居蔵家が建てられたのは、正徳元(1711)年と寛政元(1789)年の大火や、文政11(1828)年の大風などにより、耐久性が求められた結果です。当地でもとくに古いのが安政2(1855)年に建てられた西岡家住宅。平入りで大棟の上に三角形の破風を載せた、変わった外観をしています。
重要文化財、西岡家住宅

手前が杉光陶器店

もうひとつ重要な民家としてあげられるのが杉光陶器店。西岡家と同じく安政2年の建築です。妻入りながら梁間は6間もあり、塩田津に現存する最大規模の町家で、驚くべきことに3階建てです。

これらのほか真壁造りの民家や茅葺き民家、洋風建築、さらに町の興りとなった常在寺をはじめとする寺院群などが連なり、交通の要衝に栄えた町の豊かな歴史を物語っています。
入念に彫刻された持ち送りをもつ家が多い

2つの破風を載せた杉光金物店

破風が連続する長崎街道沿いの町並み


くど造りの家と洋風の消防格納庫


【住所】佐賀県嬉野市塩田町大字馬場下(地図
【公開施設】塩田津町並み交流集会所、塩田津ミュージアム
【参考資料】
『月刊文化財』2005年12月号所収「新選定の文化財」

2008年1月3日撮


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