唐津外町
からつそとまち
恵比寿像に誘われて
唐津城下のうち、町田川より東側が外町と呼ばれます。町人が住んだ内町に対し、港町として整備され、江戸時代以降は連日市が立つ賑やかな町でした。 |
【1】唐津は恵比寿像の多い町。中でも外町は港町だったせいか辻々に安置され、道標を兼ねているものもあります。この像は台座に「奉納 昭和三十二年」とあります。 |
その名の通り、唐(中国)との交易の玄関口として古くから栄えた唐津。現在の町並みは江戸時代初期の唐津城築城にともなう城下町整備によって生まれました。内町と外町に分けられた城下町のうち、大石町を中心とする外町に古い町並みが残されています。 | ゆるやかにカーブする町並み(水主町) |
商家が連続する(大石町) |
町並みを構成するのは間口の広い平入り商家で、1階の腰壁を下見板張りとし、2階正面を真壁造りとするのが基本形のようです。2階にむしこ窓を入れた家も散見されました。 |
町を歩いて目につくのが恵比寿像です。港町ゆえ恵比寿信仰が盛んだったのでしょう。大石町には市の文化財に指定されている天保10(1839)年建立のものがあり、解説板には「土地柄と庶民信仰の結びつきをよく表しています」とありました。 | 大石町の恵比寿像 |
断片的だが保存状態のいい家が多い(水主町) |
しかし古い町並みや商家については、市の観光サイトなどを見てもほとんど情報がありません。それなりに連続性もありますし、もう少し周知されてもいいと思うのですが、この町並みも次第に変貌してしまうのでしょうか。 |
2階の波型の庇がおもしろい(魚屋町) |
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