犬王袋
いぬおうぶくろ/いのうぶくろいんのうぶくろ

コの字型の家並み

JR肥前鹿島駅の東に、江戸時代の干拓地が広がります。その一画を占める犬王袋には、佐賀県特有の「くど造り」の民家が9棟残っています。

【1】犬王袋は有明海を干拓してできた集落で、周囲を耕作地に囲まれています。
【2】佐賀県の象徴、くど造りの家。上から見るとコの字型をしています。
【3】くど造りの家は屋根に「谷」が多く、そこが日蔭になって傷みやすいというデメリットがあります。このため各地で建て直されており、9棟もが現存する犬王袋は貴重な存在です。

JR長崎本線、肥前鹿島駅の東側に広大な干拓地が広がっています。江戸時代初め、鹿島藩(佐賀藩の支藩)の初代藩主・鍋島直朝(なおとも)によって干拓された重ノ木(じゅうのき)地区です。その一画を占めるのが犬王袋。ここにはくど造りの民家が9棟残り、しかもすべて茅屋根のまま。もしかしたら佐賀県下に残る、最大のくど造り集落かもしれません。
犬王袋のくど造り

左の家はくど造り、右の家は直家(すごや)

くど造りとは、上から見るとコの字型やユの字型をした家のことで、その名は“おくどさん”(台所のかまど)に似ていることにちなみます。佐賀県はこのほかH字型、L字型、ロの字型など、珍しい平面の家の宝庫ですが、これらの原型となったのがユの字型だとされています。

佐賀県でユの字型の家が建てられるようになった理由は、定かではありません。一説には江戸時代の禁令が関係しているといわれています。当時、長さ2間以上の梁を使うことは禁じられていました。この禁令は全国的には緩やかだったようですが、佐賀藩では非常に厳しく取り締まりました。そのため、家を大きくするためには棟を折り曲げ、継ぎ足すよりほかになく、結果としてユの字型の平面をもつようになったとされています。
くど造りの家が並ぶ。佐賀平野の原風景

ここにもくど造りが2軒。瓦葺きの家も味がある


規模の大きなくど造りの家


くど造りの家は屋根の谷から傷み始める

くど造りの家は、しかし佐賀県各地で急速に数を減らしています。要因は大きく2つ。ひとつは梁が短く、家が狭いこと。そしてもうひとつが、屋根の谷に雨水がしみ込み、傷みやすいことです。犬王袋でも屋根の谷が毛羽立っている家は少なくありません。

例に漏れず、犬王袋でもくど造りの家は減っています。佐賀の歴史を物語る家並みは、そう遠くない将来に消えてしまうのでしょうか。


町の北にある寿福院(左)も2000年代初めまで茅葺きだった


【住所】佐賀県鹿島市重ノ木犬王袋(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『民家は生きてきた』伊藤ていじ著、鹿島出版会、2013年(復刊)

2013年4月29日撮


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