有田内山
ありたうちやま
白磁の町のストーリー
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江戸時代に始まった有田焼は日本を代表する磁器として、広く世界にその名をとどろかせています。その古里である有田には、窯元や絵付師の家、買い付けに来た商売人の宿などが建ち並んでいます。 |
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【1】表通りに並ぶ磁器の商家は、外壁をしっくいで塗りごめています。しっくいの色は明治前期までは白、明治後期からは黒が基本です。 |
| 有田焼は日本で初めて生産された白磁器で、元和2(1616)年に完成したというのが通説になっています。その後、鮮やかな赤の色付けを確立し、華やかな元禄文化と同調するかのように発展。やがてその名声は海外にまで聞こえるところとなりました。 町並みの特徴は、表通りに有田焼を扱う商人や赤絵師の町家が、裏通りに窯元の屋敷が建てられているところにあり、それぞれで違った表情を見せてくれるのが魅力です。 |
![]() 昭和初期の3階建て商家が建つ一画 |
![]() 大火後に再建された2軒の商家。破風の大きさが違う |
商家は町並みのほぼ全域に見られます。いずれも入母屋造り、妻入りで、九州北部に多い大壁造りとしていますが、破風の造作が家によって異なり、町並みに変化を与えています。 |
| その中の1棟、H家住宅(右写真・右)は大火翌年の再建で、有田内山に現存する民家のうち、建築年が明らかなものとしては最古のものです。昭和初期に道路が拡張されたときには曳き家によって保存されました。 | ![]() H家住宅のある町並み |
| 中の原の東にある赤絵町は、その名の通り赤絵付けを行った絵師(赤絵屋)が集住した地域。この中の一軒の町家(右写真)では、2階の窓から使用済みの絵の具を流していたらしく、そのときの名残りでいまも庇の瓦が赤く染まっています。 |
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![]() 赤絵町の町家群 |
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![]() 陶器片を再利用したトンバイと呼ばれる土塀 |
整然と町家が並ぶ表通りとは対照的に、窯元の屋敷が集まる裏通りでは、細路地が不規則に巡らされています。窯元屋敷は門や塀を構え、とくにその塀は廃棄された陶器を再利用した独特のものとなっています。 |
![]() トンバイが延びる路地裏 |
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| 明治時代になると、町家では幾何学模様をあしらった建具を入れたり、洋館が建てられるようになりました。こうした西洋化の頂点といえるのが、赤絵町の東にある幸平(こうひら)にある香蘭社や深川製磁の陳列場。前者は1905(明治38)年、後者は1934(昭和9)年に建てられました。後者は堂々たる3階建てで、腰壁に磁器タイルを採用している点が有田らしいと評価されています。 |
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![]() 陳列場の向かいに異人館が建つ |
深川製磁陳列場の向かいに、異人館と通称される洋館が建っています。1876(明治9)年、陶磁器の買い付けにくる外国人の宿泊・接待所として建てられたもので、バルコニーや列柱が軽やかな印象を与えます。 |
| このように有田内山には有田焼の生産から流通までを示す一連の建物が残され、その町並みは東西2キロに及びます。全国に窯業の町は数あれど、これほどの質・量を誇る町は有田内山くらいではないでしょうか。 |
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![]() 有田のシンボル、陶山(すえやま)神社は灯籠や狛犬が陶製 |