津島
つしま

うねる軒端のリズム

「津島の天王さま」と親しまれる津島神社のお膝元は、門前の風情にあふれる町。天王詣での人々が行き交った上(かみ)街道に古い町並みが見られます。

【1】上街道沿いにツシ2階と本2階の商家が乱立します。高さの異なる商家が並び、屋根と庇が小気味よく上下しながらリズムを刻んでいます。
【2】多くの家が袖うだつをもちます。
【3】この衝立は人馬の進入を防ぐ「駒寄せ」です。親子格子の駒寄せが津島流のようです。

全国3000社の天王社の総本山が欽明天皇元(540)年創建と伝わる津島神社。戦国時代には織田氏が氏神として崇拝し、豊臣家も篤く信仰して社殿を造営しました。江戸時代には「津島の天王さま」として庶民から信仰され、近くの甚目寺観音とともに多くの参詣者を集めました。その参詣道となった上街道を中心に、古い町並みが見られます。


上街道の町並み

1929(昭和4)年の旧津島信用金庫本店


ツシ2階の商家が並ぶ


上街道の長珍(ちょうちん)酒造

津島の上街道沿いには平入り商家がびっしり並んでいます。重伝建の選定も受けていないのに、これほどの密度で歴史的な民家が残る町はたいへん貴重です。しかも多くの家が昔のままの表構えをよくとどめています。
中でも驚いたのが駒寄せ。駒寄せとは、家の前につないだ馬が格子などを傷つけないように設ける格子状の衝立のこと。住宅のリフォームにともない、撤去されることの多い部材です。
ところが上街道では駒寄せを残す家が多く、しかもその大半が親子格子をベースにしていました。これが津島の様式なのでしょうね。


駒寄せを残す商家が向かい合う


ほとんどの家の駒寄せが親子格子だった


この家には駒寄せがないが、屋根神様を祀っている


蔵の道

上街道の裏手には「蔵の道」と呼ばれる小道があります。かつての堀割を埋め立ててできた道で、その名の通り両側には板張りの蔵が連なり、表街道とは異なる町並みを見せてくれました。

南北方向に走る上街道と直行するのが佐屋街道です。東海道の難所、七里の渡しのバイパスで、両街道の交差点には「津島神社参宮道」の石標が立っています。


上街道と佐屋街道の交点

堀田家のうだつ

この交差点から佐屋街道を西へ500メートルほど行ったところに、重要文化財の堀田(ほった)家住宅があります。建造は正徳年間(1711〜16年)。武者返しと唐破風の屋根、土間の荒神かまどなど、見どころに尽きない名建築でした。
堀田家住宅の先には津島神社の鳥居があり、豊かな森に囲まれた朱塗りの社殿がたたずんでいました。


堀田家の荒神かまど

津島神社拝殿。間口より奥行きの長い縦拝殿だ


津島神社本殿。国の重要文化財


【住所】愛知県津島市本町1〜4丁目、浦方町、南門前町1丁目ほか
【公開施設】堀田家住宅、津島市観光交流センター(旧津島信用金庫本店)
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(23)愛知県』角川書店、1989年

2014年12月14日撮


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