佐久島東
さくしまひがし
路地裏は密度濃く
佐久島は江戸時代、海運の島として発展する一方で、西集落では農業が、東集落では漁業が営まれました。西よりも東に宗教施設が多いのはそのためでしょうか。 |
【1】各家の敷地は長屋門や塀で囲まれています。佐久島を含む三河湾岸地方の標準的な屋敷構えです。 |
三河湾最大の島、佐久島では2001年よりアートによる島おこしを進めています。その目玉は島内各所に点在するアート作品ですが、独特の「黒壁集落」も島内に人を呼び込む要因となっています。それら佐久島らしい風景に出合えるのが西集落。いっぽうの東集落では港近くに鉄筋づくりの旅館が並び、一見、新しい集落のように感じられますが、裏手には濃密な路地裏空間が広がっていました。 |
鉄筋造りの旅館の真裏に細い路地が走る(字中屋敷) |
大戸を残す長屋門があった(字中屋敷) |
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町並みとしては西と東で大差はありません。しかし地図を見ると、東には島の信仰の中心である八劔(はっけん)神社を筆頭に、阿弥陀寺、正念寺と、集落の規模に似合わないほど社寺が建てられていることに気づきます。もともと農村だった西に比べ、命の危険がともなう漁村だった歴史を反映しているのかもしれません。 |
八劔神社の参道に建つ紐しっくいの民家(字西屋敷) |
阿弥陀寺。弘法大師を安置する「佐久島八十八箇所」の一番札所(字東屋敷) |
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路地裏にはコールタールを塗った黒板壁の長屋門や蔵が並んでいますが、黒以外の色で塗装した建物が多いのも東の特徴。また、建物の密度は西集落ほどではなく、ところどころに見通しのきく空地が多いように思いました。 |
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(字東屋敷) |
2014年12月15日撮影 |