伊良湖
いらご

軍は村を動かす

渥美半島の突端にある伊良湖はおよそ100年前、軍事施設の拡張にともない集団移転した集落。計画的に道路網を引き、旧地にあった家を移築して、新たな歴史を紡ぎ始めました。

【1】近代の集団移転で生まれた伊良湖は、区画整理された道路網の上に展開します。直線・直角に道路が引かれた集落は、渥美半島では珍しい存在です。
【2】各家の敷地も四角形で、そこに主屋と長屋門の2棟が建っています。
【3】生垣や屋敷林を構成するのは、カシ、ツバキ、サザンカ、イヌマキなどの常緑樹。強風の地ゆえのものでしょう。

現在の伊良湖集落は1905(明治38)年の秋から翌年春にかけての集団移転の結果、形成されたものです。移転の要因は、渥美半島西端にあった陸軍の大砲試験場の拡張。大砲の性能があがり、旧集落周辺が新たに着弾地点として想定されたのです。移転対象は114戸。このうち112戸が、現在の伊良湖集落へ移転しました*。
*移転対象116戸、現集落への移転114戸とする資料あり


直線状に延びる道が特徴

長屋門から主屋を見る

旧集落は現在地よりも1.5キロほど西の、伊良湖岬に近い場所に位置していました。移転はまず、新集落の区画整理から着手され、平坦地に碁盤目状の道路が引かれました。続いて、旧集落から主屋を移築。その間、長屋門で生活を続け、移築完了後に新集落の主屋に生活拠点を移し、長屋門を移築したそうです。

渥美半島の伝統である主屋と長屋門の2棟構成が、スムーズな移転を可能にしたのでしょう。実際、陸軍省から与えられた移転期日は180日しかありませんでしたが、この間に100戸を越す集落がそっくり移ってしまったのには驚かされます。


長屋門が口を開ける


屋敷にはカシやヤシなどの照葉樹を植える

現在も伊良湖集落には長屋門と主屋からなる家並みが残り、それらが屋敷林や生垣の緑と調和したたたずまいを見せています。風景になじんだ集落は、とても近代の移転で生まれたようには思えません。しかし地図を見れば、渥美半島の一般的な集落が、複雑な道路網をもつ漁村である中、伊良湖だけが計画都市としてつくられていることが分かります。


道の両側を生垣が埋める


【住所】愛知県田原市伊良湖町字小薮、字拾歩、字小薮下ほか
【公開施設】なし
【参考資料】
『写真でみる 民家大事典』柏書房、2005年

2014年12月13日撮影


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